田舎暮らし in 熊野

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イブン・ハルドゥーン『歴史序説』で読む 都市文明の衰退過程

『歴史序説』は中世のイスラーム世界を代表する思想家、イブン・ハルドゥーンが書いた文明論の著作です。高校の世界史にも出てきてご存じの方も多いかと思います。この著作の中でイブン・ハルドゥーンは、歴史、政治、経済、地理等様々な観点から文明を論じています。中でも文明の興亡に関する論考は興味深いです。現代においても参考になると思いましたので紹介します。

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イブン・ハルドゥーンは文明の本質を社会的結合に置いています。人間一人の力だけでは生存に必要な食料を確保し得ないため、多数の人間の力を合わせる相互扶助によって生存を可能とする社会を形成します。

 

本の中でこう述べています。

「田舎の生活形態は都会に先行し、田舎は文明の根源であり、都市はその副次物である」

人間はまず、田舎において食料などの必需品を生産し、それだけで満足して暮らしています。徐々に田舎での生活が贅沢な生活や習慣を送るために十分な状態に達すると、便利な都市生活に入ります。都市には多くの人々が集まり、贅沢品が溢れる、豪華な建築物が建ち並び等の繁栄を極めます。そして繁栄の頂点において衰退が始まります。

 

なぜか。本文を引用します。

「奢侈や安楽な生活への耽溺が障害となって、社会の安定をもたらすはずの連帯意識の生命力を破壊する。連帯意識が破壊されると、その部族はもはや自己防衛や自己擁護ができなくなり、目標追求はおぼつかなくなり、やがては別の民族に併呑される」

別の民族とは田舎の民族であり、彼らは都市住民が失ってしまった連帯意識や強い生命力によって都市を征服します。征服民である彼らも都市に住むことでやがて連帯意識、生命力を失い、また別の田舎の民族に併呑される。歴史はこの繰り返しという話です。

 

大陸国家のローマ帝国や中国の歴代王朝の末路をみるとイブン・ハルドゥーンの言う通りだと思えます。ただ、王朝の変遷に関しては、日本のような島国だと事情が異なる気もします。日本の田舎住民はイブン・ハルドゥーンが想定しているような砂漠や草原を移動する民ではなく定住民です。歴史的に見て、大陸国家に比べると異民族との戦乱は少ないです。さらに、文献が残っている限りでは、王朝(天皇家)に変遷はありません。一時期を除いて、日本の政治制度は権威と権力を分離することで比較的安定した社会を築いてきました。

 

ただ、都市文明の衰退の経過については学ぶことが多いと思います。平安末期や江戸時代は、日本文化が花開いた時代であると同時に、奢侈の拡大、連帯意識の希薄化によって文明の衰退の萌芽を宿していた時代にも思えます。翻って現代、東京は世界最大規模の都市です。人や物が溢れていますね。贅沢な暮らしをする為に身を粉にして働いて、逆に生命力を減退させたり、悪しき意味での個人主義がはびこり、都市の発展を支えているところの連帯意識を失ってはいないでしょうか。分業化、専門化が進み過ぎて狭い範囲のことしか理解できなくなり、サバイバル能力を失っていないでしょうか。

 

現代日本の都市文明はどの段階にあるのでしょうか。あまりにも大きな問題なので私には答えることは難しいです。ただ、衰退の兆候はあるような気がしてなりません。人と同じように文明も否応なくいずれ滅びます。ただ、延命はできるのではないかとの希望を持っています。具体的には、都市田舎間交流を増やすことです。都会から田舎に移住するのはなかなかハードルが高いでしょう。かといって日帰りや数日の旅行では、田舎を理解することは難しいです。数週間くらい都市住民が実際の田舎暮らしを体験できる制度があればいいと思います。その主体は教育機関や企業でもいいですが、国が税金を投入して制度として導入したらどうかと思います。