田舎暮らし in 熊野

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古代人に学ぶ記憶術の真髄

詰め込み教育は時代遅れ、AIの発展で記憶力はほとんど必要なくなる等々の話をよく聞きますが、本当にそうなのでしょうか。私はそう思いません。何かを記憶するという営みは、想像力を育む源泉になると思います。そして創造力をも。

 

今回は大阪大学准教授の桑木野幸司氏の著書『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』を通して、古代人はどのようにして記憶力を高めていたのか、記憶力と想像力、創造力はどのようにつながっているのかを考えていきます。

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本書はヨーロッパの記憶術の歴史を論じています。ムネモシュネは古代ギリシャ神話に登場する、記憶をつかさどる女神で古代ギリシャ人に崇拝されていたようです。現代のように文字情報があふれている時代ではなく、言葉といえば主に話言葉だった古代ギリシャにおいて、記憶力は非常に重要視されていました。神話や叙事詩なども主に口承でした。古代ローマ時代になると、記憶術の基本が完成しました。古代ローマにおいては雄弁に人々に語りかけ、説得できる能力を持った弁論家が自由人の理想として尊敬を集めていました。優れた弁論を行なうためには、あらゆる知識を身につける必要があり、しかも原稿を棒読みするのではなく、内容をそらんじて即興で語りかける能力も必要でした。そんなわけで古代ローマでは記憶術が発展しました。

 

では古代人の記憶術はどのようなものだったのでしょうか。記憶を入れこむ器としての場所(空間)を心に思い浮かべ、次に暗唱したい言葉を図像に変換して、場所とイメージをつなぎ合わせて覚えていくテクニックでした。例えば、カエサルが暗殺される直前に言ったとされている「ブルータス、お前もか」という言葉を覚えるとします。まず、石造の議場を頭の中に思い浮かべます。次にカエサルが突如何人かに襲われて、驚き、しかも腹心のブルータスがその中にいたことを嘆き、やがて息絶えてゆく場面を想像します。単に字面を復唱して記憶するのではなく、場所とイメージを結びつけることで記憶が強化されるというメカニズムです。この記憶術は現代の医科学的な観点から見ても有効であることが、研究により証明されつつあるそうです。

 

この記憶術の第一のメリットは、もちろん記憶力の強化ですが、それだけではありません。想像力も強化されると思います。何かを覚える際に場所とイメージを頭の中で想像しながら記憶していくからです。古代人の頭の中には無数のイマージュが花咲いていたのでしょう。最後に記憶は、創造力をも養うと思われます。本文を引用します。

「記憶に基づかない創造など、果たしてあり得るだろうか。何かを全くのゼロから生み出すことなど、神ならぬ身の人間にはできはしない。たとえ独立で創作したと思い込んでいても、その作品にはどこかに、過去の傑作や先例についての情報が、かすかに紛れ込んでいるはずなのだ。それが「反発」というかたちであっても。人の成し得るクリエイションとは、膨大な過去の記憶のなかから無数の情報の断片を取り出し、それを新たな枠組みのなかで調和的に配列しなおすことに他ならない。個々の構成要素はたとえ借り物であっても、その配列の妙にこそ、真の創意が宿るものなのだ」

私もそう思います。私たちが物事を考える際には言語を用います。言語そのものも、過去から受け継いだ遺産であり、特定の誰かによる創作物ではないでしょう。過去から受け継いだ言語を下敷きにしつつ、新しい概念なり、表現を付け加えたり、組み替えたりして、創造は成されていくのではないでしょうか。 

 

いかがでしたでしょうか。近頃、世の中では記憶力が軽視される傾向にあると思います。暗記重視、詰め込み教育は、画一的な人材を生み、創造力の減退を招いた、これからはコンピューターやAIが人間の記憶を担ってくれるので、記憶力はほとんど必要なくなるため、創造力を養おう等々の言説が流布しています。私はこれらの主張には反対です。記憶力と創造力は対立概念ではなく、コインの裏表だと考えています。記憶力を高めていけば、想像力や創造力も同時に高まってくると思います。だとすると、記憶力を高めるために、現代人が古代人の記憶術から学ぶことは多いのではないでしょうか。