最強の眼力の鍛え方
久しぶりにブログを書きます。
熊野を離れ、名古屋でお店を経営することになりましたので、バタバタしていてなかなか書けませんでした。
今回は柳宗悦の『民藝四十年』という本を基に眼力の鍛え方について書きます。
柳宗悦は明治から昭和にかけて民藝運動を主導した人物です。美術評論家、宗教哲学者でもありました。民芸という言葉は柳宗悦による造語です。
柳宗悦は見せ物としての美術品ではなく、民衆向けの日用品たる民芸品に美を見出しました。具体的には名もなき衣服、食器、家具などです。今まで芸術品として陽の目を見てこなかった民芸品の芸術的価値を見出し、世の中に広めた柳宗悦、彼こそは最強の眼力を持った人物といえましょう。そんな柳宗悦が眼力の鍛え方について本書で述べておりますので、紹介します。
「知ることが直ちに、見ることだと思うのはおかしい。見る前に知を働かすと、見る眼が知に妨げられると気付かないのであろうか。私とてある知識を持っているから、必然的に幾許かの知恵が、潜在的にも働くだろうが、そういう知識の闖入が目立つと、物を見る眼はどうしても濁ってくる。一般の人は知識でもないと、物が正しく見えぬように考えるが、それは反対なのだ。知識で計ると知識で計れる以内のことより見えないものだ。つまり色眼鏡のようなもので、その色以外の色は見届けるすべがない。知識を持つことそれ自体は一向に差し支えないが、それの奴隷になると、物は見えなくなる。見て後に知る習慣をつけるのが肝心で、それが前後すると、美しさは匿されてしまう。物を見るのは無手に限る。心を裸にするとよい。知恵の着物を着たり、七つ道具を持ち出したりする必要はない」
先入観を持たずに、無心に対象のあるがままの姿を捉えるということですね。本書では民芸品などの「物」を見る眼を対象にしているかと思いますが、相手が「人」でも同じではないかと個人的に思いました。
人を見るときにも様々な知識、先入観、色眼鏡を通してしまっていますよね。出身地、家族構成、学歴、職業、収入、交際関係、周りの評判等々。そうすることで、先入観に囚われて相手の本質を捉え損なってしまう危険性があるのかもしれません。
先入観を入れずに、相手のあるがままの姿を透明な眼差しで見つめる。言うは易し行うは難し、ですね。なぜなら、知識や過去の経験を通して相手を見るというのは、ある意味で人間のDNAに刻み込まれた習性だろうから。一瞬の判断の遅れが死に結びつくような過酷な環境下で長く生きてきた人間にとって、知識や過去の経験に頼らざるを得なかったのでしょう。
ではどうしたらいいのでしょうか。柳宗悦が述べているように、「見て後に知る習慣をつけるのが肝心」ということかと思います。意識してこの習慣を身につけない限り、色眼鏡を通して「物」や「人」を見ることになってしまう生き物なのでしょうね。人間は。
いかがでしたでしょうか。眼力を鍛えるためには、知るより先に見る習慣をつけることが肝心という話でした。先入観に囚われずに、物事の本質を見抜く眼を持った人間になりたいものです。