田舎暮らし in 熊野

田舎暮らしの日常、旅行、グルメ、読書について書いています。

民主主義の逆説とは?〜民主主義が進むほど民主主義は衰退する〜

トランプ大統領の登場、イギリスのEU離脱、イタリアの五つ星運動の台頭等々、現在、世界中でポピュリズムが台頭しています。ポピュリズムとは民衆が極端な要求を掲げ、それを叶えてくれる(であろう)専制的な指導者が現れる現象を指します。

 

イタリアはさておき、米英という民主主義の最先進国で民主主義が危機に瀕しているという事実は、重要な何かを示唆していると思います。それは民主主義が進めば進む程、民主主義は衰退するのではないか、ということです。世界中のメディアがポピュリズム批判を繰り広げていますよね。何を今更、と思います。民主主義は最終的に専制に堕する、という話は2000年以上前にプラトンが述べています。近代ではフランスの政治思想家、アレクシス・ド・トクヴィルも200年程前に同様の指摘をしています。

 

ではなぜ民主主義が進めば進む程、民主主義は衰退するのでしょうか。京都大学人文科学研究所教授、富永茂樹氏の著書『トクヴィル 現代へのまなざし』を通して、この問題を考えていきます。本文を引用します。

f:id:kumanonchu:20200202110853j:image

専制の出現はなによりもまず、平等が生みだす最大なものは平等への愛であること、そのためにはひとは自由のうちでの平等を実現できない場合には、隷従のもとでの平等を受け容れさえすることと関係しています。また平等が導きだす「個人主義」、トクヴィルの考えるところでは人間の他者からの孤立にほかならない個人主義は、社会的に無関心にとどまることで専制の出現に都合のよい条件を準備します」

平等は民主主義を支える根本理念ですね。平等を理念に掲げたならば、人間は他者との少しの差異にも我慢できなくなります。現実の社会には不平等が厳然と存在します。平等な社会であるはずなのに、なぜ現実には不平等が存在しているのだ、許せない、となりますね。この不平等を解消するためには、強力な指導者、つまり専制が必要になります。そして期せずして民主主義は専制に堕してゆくことになる、ということですね。もう一点は平等が導き出した過度の「個人主義」は全体への無関心に至り、専制への道を開く、ということですね。

 

トクヴィルは、民主主義が進めば進む程、民主主義が衰退するという問題に対してどのような処方箋を持っていたのでしょうか。トクヴィルは「中間の領域」を確保するべきだと述べています。民主主義社会の人間は、抽象的な理念としての平等社会と、現実としての個人の孤立の間に引き裂かれていると言います。理念と現実の間を架橋する「中間の領域」が必要であると。「中間の領域」は具体的には、地域共同体や同業組合などを指します。人間は人類の平等という抽象的な理念に対して、実感を持つことは難しいと思われます。例えば、日本人でシリア難民の置かれている苦境を我が事として捉えている人は非常に少ないと思います。民主主義社会の人間は、自身と身の周りの少数者から成る小さな世界に閉じこもって生きていると言えるのではないでしょうか。トクヴィルは人々が中間的共同体に関与することで、実感としての共同意識を育むことができると考えていました。健全な民主主義を守るためには、人々が中間共同体への参加を通して、孤立を克服し、共同意識を育む必要があるということでしょう。

 

私は現在、人口300人ほどの田舎の限界集落に暮らしています。田舎には都会に比べると中間的共同体が残っています。例えば自治組織です。祭りの運営、町の清掃、防災活動などを住民自身がボランティアで行っています。田舎というと都会より遅れている地域であると否定的に捉えられることが多いですよね。実は必ずしもそうではなく、現在の民主主義の危機を乗り超えるための知恵が田舎に残っている、と考えることも可能だと思っています。

 

いかがでしたでしょうか。民主主義が進めば進む程、民主主義は衰退するという逆説について述べました。理念としての平等と現実の不平等の差に不満を持った民衆は、小さな差異にも不満を抱き、不平等を解消するために、専制を招いてしまうという話でした。処方箋としては、孤立した個人と全体を繋ぐ中間的共同体が必要であるとのトクヴィルの主張を紹介しました。