田舎暮らし in 熊野

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尼崎事件とは何だったのか?〜支配の戦略と服従の心理〜

「職業は家族解体業」

尼崎事件の主犯、角田美代子は自らのことをこのように述べていたそうです。

 

尼崎事件とは兵庫県尼崎市を中心にして起こった、日本中を震撼させた連続殺人事件です。10年前の事件ですが、あまりに凄惨な事件であり、記憶に残っている方も多いでしょう。個人的には戦後最悪の犯罪事件だと思います。主犯の角田美代子は、2011年に逮捕され、後に留置場で自殺し、事件の真相は闇に葬られてしまいました。

 

あまりに凄惨な事件ですので、詳しくは述べませんが、死者、行方不明者は10人をこえています。角田美代子を中心にしたグループが複数の家族を乗っ取り、金を搾り取り、暴力、虐待を加えて殺害した事件です。この事件の恐ろしく、やるせない点は、角田美代子自身はほとんど手を下さず、乗っ取った家族を洗脳し、家族同士で暴力を振るわせ、殺し合いまでさせていたことです。

 

私は角田美代子にはあまり関心がありません。ここまで暴虐の限りを尽くす人間は、どう考えてもまともな人間ではないです。異常な加虐志向を持つサイコパスだと思われます。私が関心を持つのは、もともとは被害者だった「普通」の人々が角田美代子に洗脳され、加害者に変容してしまった、その心理とそれを可能にした支配の戦略です。

 

私は最近まで1ヶ月半程尼崎に住んでいました。その間に複数の参考文献を読み、事件の現場を歩き、尼崎事件とは何であったのかをいろいろと考えました。その結果、尼崎事件は他人事ではないと思うようになりました。普通の暮らしをしている人々が角田美代子のような極悪人に遭遇する可能性はあまり高くないと思われますが、良からぬ人につけ込まれ、人間関係のトラブルに巻き込まれる可能性は決して低くないと思います。人を支配しようとする人間がどのような戦略を持ち、人心掌握を図ろうとするのか、支配されるに至る人間の心理はどういったものなのかを知ることは、人間社会で生き抜くためには、極めて重要だと思います。

 

尼崎は大阪に隣接する工業都市です。兵庫県ですが、雰囲気は大阪の下町とほとんど同じです。ダウンタウンの浜田さん、松本さんは尼崎出身ですね。一般的には治安の良くない土地として知られています。確かに犯罪率は高いですし、凶悪犯罪も割と多いです。阪神尼崎駅周辺の繁華街は、ガラが悪い感じがしました。警察が揉め事を仲裁してる場面には、何回も出くわしましたし、マナーがあまり良くない場所なのか、道端にゴミが散乱してたりします。ただ、私自身は危険な目に合うことはありませんでした。尼崎の喫茶店のトイレに財布を置き忘れてしまったことがありましたが、親切な方が店員さんに届けてくれて事なきを得ました。下町特有の人情味ある土地でもあり、世間一般で考えられている程危険な場所ではないと思います。

 

尼崎事件は尼崎という土地だからこそ起こった事件なのでしょうか。私はそこまでは思いませんが、ある程度の関連はある気がします。尼崎には土着性とノマド性が併存しているような印象を持ちました。下町的な濃密な人間関係がある一方で、全国有数の工業都市であり、故郷を離れて一時的に尼崎に住み、働いている人も多いです。そういった人々の人間関係は希薄になりがちです。濃密な人間関係と希薄な人間関係という相反するものが揺れ動きながら交錯した時、尼崎事件が起こったのではないか、そんな気がしました。

 

尼崎事件の主な現場になったのは、杭瀬という場所です。尼崎の中心、阪神尼崎から電車で二駅のところです。大阪の下町のような雰囲気です。

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杭瀬の商店街です。角田美代子グループもよく買い物をしていたそうです。

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こちらは五色横丁というスナック街です。こちらも角田美代子グループがよく足を運んでいたそうです。

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角田美代子グループが住んでいたマンションです。ここの最上階の角部屋で数多くの監禁虐待、殺人が行われました。

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現在、空き地となっているこの場所に殺害された三名の遺体が埋められていました。

 

本題に入ります。『尼崎事件 支配・服従の心理分析』村山満明、大倉得史編著 現代人文社を主な参考文献とし、支配の戦略と服従に至る心理について書きます。この事件は非常に入り組んでおり、事件の詳細までは書ききれませんので、要点を述べます。

 

角田美代子が人心掌握術に長けていたことは間違いありません。どのようにして人心掌握術を手に入れたのでしょうか。角田美代子の父は左官業という肉体労働者を手配する仕事を営んでおり、荒くれ者をアメとムチで手懐けるプロだったようです。そんな父から学んだことも多かったことでしょう。『モンスター 尼崎連続殺人事件の真実』一橋文哉著 講談社+α文庫によると、角田美代子は暴力団の大物から洗脳という悪の技法を学んだ可能性が高いとのことです。支配の戦略を四つに要約すると、アメとムチ、分断工作、同調圧力、社会生活の解体です。

 

アメとムチは時に優しくしたり、時に厳しく接することで相手を手懐ける方法です。よくある話ですね。角田美代子は、最初は相手に甘言で近づき、いろいろと相談に乗ったり、お金を貸したりしていました。ある段階で難癖をつけ、恫喝し、暴力を振るい始めます。と思っていたらまた優しくなったりして、相手を徐々に支配していきました。

 

分断工作は支配される側の人間が結束して反抗してこないように、ある者は優遇し、ある者は虐めることで被支配者同士を対立させ、分断する工作です。支配者がよく使う統治方法ですね。江戸幕府が敷いた江戸時代の日本の身分制度もその一例です。大英帝国の植民地運営も同様でした。角田美代子もこの技法を使いました。支配される人間をランク付けし、しかもランクを頻繁に入れ替えることで、絶え間ない緊張関係を作り出しました。いつ自分が暴力のターゲットになるか分からない状況の中で、自分が被害者にならないように、被害者が別の被害者に暴力を振るうというおぞましい事態が繰り返されました。

 

同調圧力は空気の支配とも言えます。角田美代子は実際的には自分の意思を強制しているのですが、重大事を決める際に形式的には、集団意思決定体制を敷いていました。具体的には、家族会議なるものを開かせ、みんなで物事を決めさせていました。もちろんこの集団意思決定体制は見せかけです。参加者は角田美代子の意思を忖度し、実際には角田美代子の意見が通っているわけですが、形式としてはみんなで決めたこととし、誰も反抗できない「空気」を作り出していました。日本人は特にこの手法に弱いと思います。

 

最後に社会生活の解体です。ターゲットとなった人間の社会生活、特に濃密な人間関係を断ち、孤立させ、自らに服従させるという戦略です。角田美代子もこのやり口を使いました。被害者の親族や親しい友人は、当然、被害者を救おうとします。支配者から離れているため、冷静に状況を判断もできます。角田美代子のような支配する側からすると、これらの人々は邪魔になるので、ターゲットの濃密な人間関係を断ち切ろうとします。角田美代子は、実際にそうしました。具体的には、暴力団との関係を匂わせて、ターゲットの親族や親しい友人を脅して介入しないようにさせたり、ターゲット自身を脅して、目の前で親しい人々に電話させ、絶縁させたりしていました。

 

アメとムチ、分断工作、同調圧力、社会生活の解体を経て、被害者は支配者に絶対反抗できないと思い込み、心理的に無力感に囚われ、支配者に絶対服従するロボットのようになってしまいます。この段階で支配が確立します。  

 

尼崎事件とは何であったのか。

角田美代子が支配の戦略という悪の技法を使い、「普通」の人々を服従、無力化させ、多くの家族を解体していった恐るべき事件だと言えるのではないでしょうか。この事件は言うまでもなく、特異な凶悪犯罪事件です。ただ、ここで述べた支配の戦略と服従の心理は、人間が集まってできるあらゆる集団において、多かれ少なかれ現れる問題を、極端な形で示したと考えることもできます。アメとムチや分断工作、同調圧力を使った支配などはよくある話であり、誰にでも起こり得ます。角田美代子は消え去りました。ただ、角田美代子的な人間は我々の身の回りに潜んでいるのかもしれない。暗闇の中で目を光らせて、獲物を狙っているのかもしれない。