田舎暮らし in 熊野

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古代人の死生観とは? 〜黄泉比良坂を訪れて〜

出雲にはこの世とあの世の境界があると言われています。現在の島根県松江市東出雲町にあります、黄泉比良坂(よもつひらさか)です。古事記の中の黄泉の国の神話に記載があります。先日、島根を旅した際に訪れましたので紹介します。

 

まず、黄泉の国の神話について簡単に説明します。夫のイザナギと妻のイザナミは仲睦まじく暮らしていましたが、イザナミは出産の際に傷を負い、亡くなってしまいます。イザナギは最愛の妻、イザナミのことを忘れることができず、イザナミがいる黄泉の国(あの世)に向かいます。戸を挟んで、イザナギイザナミに、帰ってきて欲しい、とお願いします。イザナミは黄泉神(黄泉の国を治める神様)に相談するので、その間、自分のことを見ないように、イザナギに言いました。長い間、イザナギは待ちましたが、なかなか現れないので、待ち兼ねて、戸を開けてイザナミを見てしまいました。イザナミの身体には蛆がたかっていました。それを見たイザナギは逃げ出しました。恥をかかされ、激怒したイザナミイザナギを追います。イザナギは黄泉比良坂を通り、必死に逃げます。そして黄泉比良坂を巨大な石で塞ぎ、なんとか逃げ切りました。巨石によって、黄泉の国(あの世)と葦原中国(この世)の境界は閉じられた、という話です。

黄泉比良坂です。

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この世とあの世の境界を閉じたとされている巨石です。

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黄泉比良坂の途中にある、賽の神です。地元では、ここを通る際には、賽の神に小石を積む風習が今でも残っているようです。

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私が黄泉比良坂を訪れたのは休日でしたが、誰もいませんでした。恐る恐る、この世とあの世の境界を越え、黄泉の国に足を踏み入れました。日中にも関わらず、周辺は薄暗くじめじめしています。冷たい風が吹きすさび、森が騒いでいます。何ものかが私に来てはならない、と警告を発しているような気がし、途中で引き返しました。

 

古事記の黄泉の国の神話は、古代日本人の死生観を伝えているように思えます。古代日本人にとって生と死は断絶しておらず、どこかで繋がっていると考えられていたのではないでしょうか。黄泉の国(あの世)と葦原中国(この世)は別の世界ではあっても、黄泉比良坂のような通路で繋がっていると。

 

現代人の死生観は、基本的には生と死は断絶しています。これは科学主義の必然的な帰結だと思われます。死んだら終わり、と。私自身も典型的な現代人であり、そのように考えています。ただ、現代人は古代人より優れているだとか、古代人は愚かだったとは思いません。生は死を、死は生を含むものとして生死を循環的に捉えていた(と思われる)古代人の死生観、私には豊かな精神世界だと思われます。現代人は科学主義の名のもとで、目に見えないもの、科学で証明できないものを信じることが難しくなっています。その行き着く先が虚無主義なのでしょう。物質的には現代は古代よりはるかに豊かになりました。ただ、精神的には貧しくなっているのかもしれません。そう考えると、現代人が古代人から学ぶことも多くあるのかもしれませんね。