田舎暮らし in 熊野

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台所の思想史 〜ナチスの台所〜

「私がこの世で一番好きな場所は台所だと思う」

吉本ばななさんの小説『キッチン』の冒頭の文章です。私はこの本が大好きで何度も読み返しました。とても温かい気持ちになれる本です。台所というと日常生活、家庭などを思い浮かべますよね。対して、ナチスと言えば異常性や悪の象徴と考えられており、台所とはなかなか結びつかないでしょう。しかし、当然ながらナチスドイツにも台所はありました。ナチスドイツの台所はどのようなものだったのか、より具体的にはどのような思想的背景に支えられた台所だったのかを考えてみます。今回は京都大学の准教授で農業思想史を主に研究している藤原辰史氏の著書『ナチスのキッチン「食べること」の環境史』を参考にします。

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この本は第一次世界大戦後のワイマール共和国からナチスまでのドイツの台所をめぐる思想史についての考察をしています。ナチスについて、政治、経済、軍事、歴史、または精神病理学などの観点から語られることは多いですが、台所の思想史という切り口は珍しく、興味を持ちました。

 

著者はナチスの台所思想は、テイラー主義に基づいていると述べています。テイラー主義とは、科学的見地に基づいた労働管理の理論です。具体的には、労働の各要素を分解し、数値化して観察し、無駄な作業をあぶり出し、生産性の向上を図るといった理論です。現代の企業経営、特に製造業の生産管理などにおいても用いられています。テイラー主義では、暗黙知や口頭伝承のような属人的な仕事を否定します。つまりは職人気質は認めないということです。仕事をマニュアル化し、いつでも誰でもできるようなルーティンワークにすることを目指します。ある意味では、人間を機械のように扱う、機械主義に通じる考え方です。

 

ではナチステイラー主義的な台所とはどのようなものだったのでしょうか。一つ目は台所の「工場化」です。機能的で効率的な台所の配置、最新の調理器具の採用などです。無駄を排して、機械のように台所仕事をすることが良しとされていました。二つ目は栄養至上主義です。美味しさや愉しさのような計測不可能な感情はかき消され、健康に良い食べ物、ビタミンが多い食べ物、最終的には頑強な兵士を育成する食べ物が推奨されました。

 

ナチスの台所思想は現代にも受け継がれているような気がします。機能的なキッチン、栄養至上主義などなど。私はこれらを完全否定はしません。料理の手間が減れば便利ですし、栄養ももちろん大切です。ただ、どこかに違和感を感じます。台所の「工場化」を突き詰めたら、料理は各家庭ではなく、どこかの大きな食品工場で作って、各家庭に配分するのが最も効率的という話になります。栄養至上主義を突き詰めたら、サプリだけで栄養補給すれば良いことになります。料理は画一的な工業製品とは違うと思います。各地域、各家庭には、郷土料理なり家庭料理があります。これらは主に口承などを通じて受け継がれてきた文化であり、これらの文化の多様性を守っていきたいと思います。あと、食べ物は単なる栄養源ではありません。食材を調達し、料理し、共食する、それらのプロセス全てを含んだ、全体的な食の体験も重要だと思います。

 

ナチスの台所思想とは、テイラー主義に基づいて、効率最優先で人間を機械のように扱い、工業製品のように画一的な料理を作り出そうという思想です。この思想は食と人間の多様性、全体性を破壊しかねず、問題があると思われます。最後に吉本ばななさんの小説『キッチン』の文章を再度引用します。

 

「どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事をつくる場所であれば私はつらくない。できれば機能的でよく使いこんであるといいと思う。乾いた清潔なふきんが何まいもあって白いタイルがぴかぴか輝く。ものすごいきたない台所だって、たまらなく好きだ。床に野菜くずがちらかっていて、スリッパの裏がまっ黒になるくらい汚いそこは、異様に広いといい。ひと冬軽くこせるような食料が並ぶ巨大な冷蔵庫がそびえ立ち、その銀の扉にわたしはもたれかかる。油が飛び散ったガス台や、さびのついた包丁からふと目をあげると、窓の外には淋しく星が光る」