田舎暮らし in 熊野

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神話で読み解く鎮魂の作法 〜熊野と出雲をつなぐもの〜

黄泉の国、根の国、妣の国

 

これらは死者の国という意味です。古事記や日本書記の神話の中に出てきますね。国産み、神産みの神であるイザナミは、出産後に亡くなり、黄泉の国に向かったとされています。イザナミの亡くなった地は、古事記では出雲、日本書記では熊野であるとされています。

 

神話は基本的にはフィクションですが、史実を下敷きにしていると思われます。神話は史実のメタファー(暗喩)であるとも言えます。なぜ熊野と出雲は、死者の国につながる土地とされているのでしょうか。そして現在でも聖地として信仰を集めているのでしょうか。

 

まず前者について考えてみます。日本古代史において大和朝廷畿内を中心にした一大勢力を確立する以前、熊野と出雲には大和朝廷に対抗しうる勢力を持った豪族たちがいたのではないでしょうか。熊野、出雲の豪族たちは、最終的に大和朝廷に敗れ去ったのだと思われます。その過程において、地上の国としての大和朝廷、地下の国(死者の国)としての熊野、出雲という位置づけがなされたのではないでしょうか。

 

次は後者について考えてみます。なぜ、敗れ去った国である熊野、出雲が信仰を集める聖地となったのでしょうか。おそらく鎮魂的意味合いがあったと思われます。敗れ去った者たちの無念の想いを鎮めるという。古事記の国譲りの神話もこのあたりの暗喩だと思われます。出雲を治めていたオオクニヌシアマテラスオオミカミの子孫に国を譲ることと引き換えに、大きな宮殿を建ててもらい、そこで静かに暮らしたという話です。この大きな宮殿は、出雲大社とされています。

 

「鎮魂」は日本史を読み解く一つの鍵になる考え方だと思われます。敗れ去った者たちも丁重に扱うということです。源義経西郷隆盛といった敗者たちも敬愛されています。人間に対してだけでなく、動物に対しても鎮魂を行なっていました。狩った熊や仕留めた鯨を供養する習慣がありました。中国やヨーロッパの歴史をみてみると、基本的に敗者は徹底的に殲滅されます。ローマ帝国は第二次ポエニ戦争カルタゴを破った際に、二度とカルタゴが蘇らないようにカルタゴの街中に塩を撒き、生物が生えないようにしたといわれています。

 

話を戻します。熊野と出雲は、大和朝廷に敗れ去ったものの、鎮魂のために、死者の国を司る神々の地として信仰を集めることになったのではないかという話でした。では熊野と出雲は、敗れ去った国という以外に共通点はなかったのでしょうか。おそらくそうではありません。出雲には熊野神社があります。そして熊野には、出雲大社の分社があるのです。これは古代に両地がなんらかの接点があったことを意味するのではないでしょうか。

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昨日、奈良の十津川村にある、世界遺産の玉置神社を訪れました。標高1000m近い地にあります。2000年以上前に創建されたとされている大変歴史ある神社で、熊野の奥の院とされています。この神社の隣に出雲大社の分社がありました。

 

いかがでしたでしょうか。熊野と出雲は、敗れ去った者たちの鎮魂のために、死者の国につながる土地として現代でも信仰を集めているのではないかという話でした。「鎮魂」は日本史を読み解く鍵の一つではないでしょうか。熊野と出雲は、古代において、密接な関係があったのではないかとの私論も述べました。