田舎暮らし in 熊野

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死と再生の地、熊野 〜黄泉の国、根の国、常世〜

昨日、熊野古道の中辺路を歩いてきました。私は熊野に住んでいますので、ほぼ毎週末にはどこかしらの熊野古道を歩いています。熊野古道というと、観光地で多くの人々が歩いていると思ってらっしゃるかもしれません。一部を除いてそんなことはありません。総距離は1000キロ程もあると言われており、そのほとんどは山道です。人通りはまばら、もしくは皆無の所が多いのです。熊野古道を歩いていると、昔の人はなぜこのような厳しい山路を越えて、熊野詣に向かったのだろうか、と考えます。

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熊野は神話の時代から、黄泉の国、常世根の国などと考えられてきました。これらの3つに共通するのは死者の国という意味です。ただ、ニュアンスは異なります。黄泉の国には否定的なニュアンスがあります。古事記に黄泉の国の神話が出てきて、死体が腐敗している恐ろしい場所として描かれています。常世は逆で、海の彼方にある理想郷、と肯定的に捉えられてきました。根の国は黄泉の国と常世の中間的なニュアンスです。

 

いにしえの人々にとって、「死」は両義的な意味を持っていたのかもしれません。恐ろしいものであると同時に理想郷でもあると。「生」と「死」は対立するものではなく、コインの裏表のように、異なるように見えて、実は同じものであると。「生」の中には「死」が含まれており、「死」は「生」を胚胎していると。

 

いにしえの人々は、なぜこのような死生観を持っていた(と思われる)のでしょうか。おそらく、自然との日常的な接触を通して、直感していたのだろうと思います。例えば、植物は時が来たら、枯れて、種を落とします。その種は新たな生命を生み出します。「死」が「生」を生み出すのです。人間を含めた生物は、他の生物の命を奪うことで生きています。例えば、我々は米を食べます。稲という植物の死によって、人間は生きているわけです。つまり、生命全体でみると、「生」と「死」は循環しており、同義であるとすら言えるのではないでしょうか。

 

翻って現代。現代人は「生」と「死」を分離、隔離して考えているように思えます。これは生命を個体としてしか捉えていないからだと思います。確かに、個体としての生命は死んだら終わりでしょう。ただ、いにしえ人のように、生命を全体として捉えたらば、「生」と「死」は循環していると言えるのではないでしょうか。現代人が抱えている精神的孤独、虚無感の背景には、個体至上主義的生命感があるように思えます。生命を個体に閉じ込め、矮小化することで、生命の全体性を喪失し、不安にかられている、それが現代人なのかもしれません。そうだとするならば、現代人がいにしえ人から学ぶことは多いのではないでしょうか。

 

最初の問いに戻ります。いにしえ人はなぜ厳しい山道を歩いてはるばると熊野詣に向かったのか。魂の再生、救済を求めて、となるでしょう。何故、熊野だったのでしょうか。それは熊野が死者の国と考えられていたからでしょう。再生を求めて死者の国に行く、「生」と「死」が分離している現代人には、ほぼ理解不能な矛盾ですね。いにしえ人にとっては、「生」と「死」は深く結びついていたのだと考えると、再生を求めて死者の国に向かったことも納得できます。個体的生命に囚われ、全体性を喪失し、根無し草と化した現代人の精神的危機を克服する鍵は、いにしえ人の死生観の中にあるのかもしれませんね。

 

主要参考文献:

根井浄 『観音浄土に船出した人びと 熊野と補陀落渡海』2008年 吉川弘文館

町田宗鳳 『エロスの国・熊野』2004年 法藏館

中上健次紀州 木の国・根の国物語』2009年 KADOKAWA