田舎暮らし in 熊野

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コロナ以後の世界はどう変わるのか① 〜グローバリズムの後退とナショナリズムの復活〜

コロナ危機が続いています。私の暮らしている田舎は、宿泊客の減少、屋内イベントの中止などの影響が出ていますが、外出自粛が続く東京などの大都会ほどのダメージは受けていない印象です。感染者は今のところ出ていません。宿泊を伴わない観光客はむしろ増えている気すらします。おそらく人口密度が高く、屋内での娯楽が多い都会での感染リスクを避けて、空気のきれいな田舎にアウトドアを楽しみに来ているのでしょう。

以前、『東日本大震災の教訓はコロナ危機に生かされているのか』というブログでコロナ以後の日本社会がどうなるのかについて書きました。結論的には、人口の大移動や世界観の転換といった大変動は起こらないだろうと述べました。このブログはコロナ危機が深刻化する前に書きましたが、現在でも意見は変わりません。ただ、国際情勢に関しては、コロナ前後で大きく変わる可能性があると思います。2回に分けて、海外メディアの報道を基にコロナ以後の世界がどう変わるのかについて考えていきます。

今回はグローバリズムの後退とナショナリズムの復活についてです。アメリカのウォールストリートジャーナルの記事を紹介します。記事の要諦は、コロナ危機を機にして、グローバリズムは後退し、ナショナリズムが復活するだろうということです。コロナ危機に際して、実際に危機対応を主導しているのは、国家です。WHOや国連などの国際機関ではありません。外出制限や医療対策、経済対策などです。感染拡大を防ぐために努力しているのは身近な医者や看護師などであり、これらの献身的な姿を目にした国民は国家の役割を見直すだろうと述べています。グローバリズムを前面に掲げるドイツであっても、コロナ危機に際しては、自国第一主義をとっています。ドイツは国内用を優先するために、医療用マスクの輸出禁止を宣言しました。

この記事のポイントは2点あります。一つ目はグローバリゼーションは危機収束後にほぼ間違いなく元に戻るだろうが、グローバリズムは大幅に後退するだろうということです。グローバリゼーションは人、もの、金の地球規模での自由移動を指します。グローバリズムは主義、思想であり、ある種の信仰でもあります。グローバリゼーションは人類を豊かにする、素晴らしいと。二つ目はグローバリズムの後退は、米英などを中心にコロナ危機前から進んでいたが、コロナ危機が決定打となるであろうということです。

記事はこのように結ばれています。

「世界経済に大打撃を与えたパンデミックは、最も強力な力で我々に思い出させる、我々が過去半世紀で作り上げてきた、グローバル化した世界はある種の構築物であることを、そしてある程度、世界の平和や安全を生み出してきた主体でもあったことを。不安定さを増した世界において、グローバル化した世界はおそらく生き残ることはできないであろう」(自分訳)

私はこの記事をバランスがとれており、的を射た論評だと思いました。論者はグローバル化した世界を、世界の平和や安全を築いてきた主体として評価する一方、冷徹にグローバリズムの後退、ナショナリズムの復活を予想しています。私自身はグローバリズムナショナリズムのような特定の「主義」に肩入れすることには、懐疑的な立場です。「主義」を掲げてしまうと、反対の「主義」を排撃してしまいがちだからです。グローバリズムの立場に立つと、ナショナリズムは偏狭で危険な思想となります。ナショナリズムの立場に立つと、グローバリズムは自国民を見棄てる誤った思想となります。どちらの主張にも一理あると思います。グローバリズムナショナリズムかの二者択一ではなく、両者の間のバランスが大切だと思います。ウォールストリートジャーナルの記事は、グローバリズムに傾いていた世界は、コロナ危機が決定打となり、ナショナリズムの方に振れる可能性が高いということを述べているのでしょう。私もそう思います。