田舎暮らし in 熊野

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東日本大震災の教訓は「コロナ危機」に生かされているのか

本日は東日本大震災の発生から9年目です。目下、「コロナ危機」が進行中ですね。果たして東日本大震災の教訓は、「コロナ危機」に生かされているのでしょうか。そして「コロナ以後」の世界はどうなるのでしょうか。

 

東日本大震災の教訓については様々な意見があると思います。個人的には人口一極集中の危険性、科学技術を過信することの危険性だと思います。

 

まずは人口一極集中の問題について述べます。大震災などの危機事態において特定地域に人口が集中していると危険です。人口集中地域を大災害が襲った場合に、国家存亡の危機に陥ってしまう可能性があるからです。言うまでもなく、日本の人口集中地域は東京圏です。現在、東京圏に約4000万の人口が集中しており、日本の人口の約三分の一は東京圏に住んでいることになります。東日本大震災の際には、リスク管理の観点から、東京一極集中の危険性に対して盛んに議論がなされていました。では東日本大震災を経て、東京一極集中は是正されたのでしょうか。全くそうではありません。現在も地方から東京圏への人口移動が続いています。現在、東京では新型コロナウィルスの感染はそこまで広がっていませんが、もし満員電車に感染者が乗車したらば、爆発的に感染が広がる可能性があると思います。

 

次は科学技術に対する過信の危険性について述べます。東日本大震災で科学技術といえども、巨大な災害に対しては脆弱であることが明らかになりました。防波堤を乗り越えて街を飲み込んだ津波福島原発事故、停電等々。科学技術を過信すると、「想定外」の危機事態に対処することが極めて難しくなってしまいます。そして現在、科学技術に対する過信は是正されたのでしょうか。是正されるどころか増幅しているように思われます。AIが人間を超えるといった議論は、科学技術至上主義を象徴しているのではないでしょうか。今回の新型コロナウィルス感染がここまで広がっている背景には、医療技術に対する過信がどこかにあったのかもしれません。最新の医療技術をもってすれば感染は広がらないのではないかと。しかし、今のところそうはなっていません。

 

結論としては、東日本大震災の教訓は「コロナ危機」に生かされていないと私は思います。個別の話、例えば、東日本大震災を機にBCP(事業存続計画)を策定したり、拠点分散してリスク管理体制を高めた企業であったり、防災グッズや食料品の備蓄をしている個人は増えたと思います。もちろん被災者の皆様におきましては、現在もつらい記憶を抱えて暮らしていらっしゃると思いますし、大震災の教訓が生かされていると思います。ただ、東日本大震災後の前後で日本の社会が根本的に変わったとは思えないのです。

 

「コロナ以後」の世界はどうなるのでしょうか。日本経済新聞などを読んでいますと、「コロナ危機」で外出が減り、自宅滞在時間が増えた影響で、「コロナ以後」にはネットショッピング、オンライン学習、オンライン診療、在宅勤務、行政手続きの電子化などが進むのではないかとの意見が出ています。確かにネットショッピングや行政手続きの電子化などは進むような気がします。今までインターネットに馴染みがなかった年配者などが、試しに使ってみたら案外簡単だったので今後も使おう、となるのではないでしょうか。インターネットの話とは別に、このような意見も日本経済新聞に出ていました。他者の意見を引用する形ではありますが、「コロナ以後」には都市から地方への移住が進むのではないかと。人口密度が低く、感染リスクの低い地方のメリットが見直されるのではないかとのことです。この予想は外れる可能性が極めて高いと思います。東日本大震災ほどの被害をもたらした大災害以後においても、地方から都市(主に東京)への人口移動の流れは変わっておらず、地方の衰退が進んでいます。「コロナ以後」に都市から地方へ大規模な人口移動のような社会の大変動が起こるとは思えないです。

 

結論としては、コロナ前後で日本の社会が大きく変わることはないだろうと思います。東日本大震災前後がそうであったように。私は人間は危機から学ばない愚かな生き物であると一方的に言っているわけではありません。人間には「忘れる能力」も必要です。つらい記憶にどこかで区切りをつけて、前に向かって進んでいく必要がありますし、危機に怯えてばかりいたらば経済は停滞、衰退してしまいます。ただ、人口の過度な集中や科学技術への過信は、危機を増大させる土壌になりうるという冷静な認識を心の片隅に持っておく必要はあると思っています。