田舎暮らし in 熊野

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滅びゆく武士が伝えたかったこと〜奈良、九品寺の石仏を観て〜

昨日、奈良の御所市にあります九品寺を訪れました。九品寺は奈良時代行基が開いた古刹です。行基は奈良東大寺の大仏建立に尽力した人物として、日本史にも登場する名僧ですね。今から約700年近く前の南北朝時代、九品寺は周辺地域を治める武士氏族、楢原氏の菩提寺でした。楢原氏は南朝方に付き、楠木正成らと共に北朝方と戦いました。楢原氏の一族は出陣するにあたり、自らの形見、身代わりとして1700体近い石仏を彫り、九品寺に奉納したと伝えられています。その石仏が現在も残っています。

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南朝方は結果的には破れ去りました。おそらく出陣した楢原一族の多くは、生きてこの地を踏むことはなかったことでしょう。彼らは石仏を通して、後世に何を伝えようとしたのでしょうか。死地に向かわざるをえなかった無念の思いなのでしょうか。これは極めて現代的な解釈だと思われます。完全に間違いであるとは言いませんが、彼らが本当に伝えたかったことは別のところにあると思います。それは自らの「生き方」だったのではないでしょうか。彼らは南朝大義、君主に対する忠義に殉じました。自らを超える何かのために自らの命を捧げたのです。つまりは自己犠牲という生き方です。生命至上主義の世界に生きる現代人にはなかなか理解出来ないかもしれません。ただ、古今東西において「勇気」は大切な徳目とされています。勇気とは自己犠牲という意味でもあります。だとするならば、自らを超える何かのために自己犠牲を行った楢原氏の生き方から、現代人が学ぶことは多いのではないでしょうか。

 

九品寺の石仏を観て、現在、私が住んでいる田舎の限界集落の未来について想うところがありました。集落の人口は300人程度で住民の大半が60歳以上です。おそらく数十年後には消滅している可能性が高いと思います。もちろん、手をこまねいているわけではありません。移住促進や地元若者の流出を防ぐための施策、漁業の六次産業化などによって地域経済の立て直しに取り組んでいます。ただ、人間が作った社会はいずれは滅んでゆきます。田舎だけでなく、繁栄を謳歌している東京、シンガポール、ロンドンであっても同じことです。

 

滅びは避けられないとしても、この町で暮らす人々の「生き方」を後世に伝えることはできるのではないかと思います。具体的には自然との共生であったり、地域の助け合いです。私の暮らす集落は漁村ですので、漁師が多いです。漁師は文字通り命がけで仕事をしています。漁の最中に命を落とした人もいます。からだの一部を失った人もいます。危険な海と戦いながらも、海から大きな恵みを得て暮らしています。地域内で助け合いながら、都会とは違った意味で「豊かな」生活を送っています。自然との共生、地域の助け合い、これらもある意味で自己犠牲の一つの形だと私は思います。

 

田舎集落に暮らす人々のこのような「生き方」を私なりに後世に伝えていきたいと思っています。滅びゆく楢原氏が石仏に込めた想いを私は700年近い時を超えて受け取りました。同じく、私のメッセージを通して、田舎集落に暮らす人々の「生き方」が1000年先までも残ることを願ってやみません。