田舎暮らし in 熊野

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脱ニューヨーカーの有機農業挑戦記

「きれいは汚い、汚いはきれい」

シェイクスピアの4大悲劇の一つとされている『マクベス』の冒頭のセリフです。いろいろな解釈があるのでしょうが、私は美醜の親近性という意味に捉えています。通常、きれいなものと汚いものは、正反対の概念であり、遠く隔たったものであると捉えられていますね。実はそうではなく、きれいなものと汚いものは表裏一体の関係にあるのではないでしょうか。

 

ハーバード大学を卒業して、ニューヨークでライターをしていた女性、クリスティン・キンボールが恋人と共に田舎に移住して有機農業に挑戦する実話を描いた『食べることも愛することも、耕すことから始まる 脱ニューヨーカーのとんでもなく汚くて、ありえないほど美味しい生活』を紹介します。この本を通して、きれいであることと汚いことの親近性について考えてみます。

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著者のクリスティンは、厳しい、ある意味で汚い自給自足的農業を通して、生命の充実感を得ました。本文を引用します。

「農は人を変える。ごつくなった掌のしわ、爪に入り込んでとれない泥のように、農は肌から染み込んでくる。こんなふうに体を酷使していたら、酒や煙草や夜更かしの悪習どころではない、五十を過ぎたある朝、気がついてみればひざが立たず、肩はまわらず、農機具の騒音にやられて耳も聞こえず、おまけに無一文、なんてことにもなりかねないだろう。それでも農にはしっかりと体に根を張り、ほかはありえない、あとはみなとるに足りないこと、と思わせてしまう力がある。この土地が世界のすべて」

 

都会生活は自然から切り離されていますね。泥まみれになることはまずありませんし、家畜を追い回すこともないでしょう。快適な生活を送ることができる一方、厳しい自然に向き合うことで得られる生命の充実感を得難いのかもしれません。私自身も都会から田舎に移住し、漁業という自然を相手にした仕事をしています。お世辞にもきれいな職場ではないですし、肉体を酷使しますが、自然と自らの生命が繋がっているという実感はあります。例えば生きた魚を締める時。締めるとは殺生することです。かわいそうと思うと同時に、犠牲となった生命に感謝の念を感じます。生きることは、他の生命の犠牲のもとに成り立っているという厳粛なる生命の事実に向き合うのです。

 

いかがでしたでしょうか。脱ニューヨーカーの著者は、厳しく、汚い農業を通して、逆説的に生命の充実感を得たという話でした。きれいと汚いは、表裏一体の関係にあるということです。この本は、単なる田舎暮らし、農業の話ではなく、ロマンス、グルメ、個人の成長記としても読むことができますので、多くの方々にお勧めできます。