田舎暮らし in 熊野

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「選択と集中」の危険性 〜大英帝国の衰退に学ぶ〜

選択と集中と言えば、経営学の概念ですね。自社の得意分野に資源を集中投下することで成長を成し遂げようという経営戦略の一種です。対義語は多角化です。経済学用語の比較優位説も似た概念です。それぞれの国は得意分野に特化することで、経済効率が最大化する、との説です。個人のキャリア形成においても似たことが言われています。つまり、専門家たれ、と。これら3つの考え方に共通するのは、いろいろ手出しせず、特定分野に特化すれば成功するというものです。私はこの「特化主義」に反対の立場です。理由は2つです。1つ目は急激な変化に弱いこと。2つ目は存在を矮小化する可能性が高いことです。

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国際政治学者の高坂正堯氏の著書『現代史の中で考える』を通して、「特化主義」の危険性について考えてみます。高坂氏は本書の中で、大英帝国の衰退の原因を考察しています。帝国の衰退の原因は一つではなく、複数あると述べています。例えば、新興国の追い上げ、起業家精神の衰退、新しいものへの心理的抵抗、社会体質などです。その中の一つとして、高坂氏は大英帝国は特定の産業分野に特化し過ぎたため、急激な変化に耐えられなかった点をあげています。大英帝国は何に特化していたかと言うと、石炭産業、繊維産業、銀行業です。本文を引用します。

 

「すべてのものは進化の過程で特化する。だが、生物の世界の例が示すように、特化は脆弱性の増大をもたらすのである。とくに、それは大きな変動に対して弱い。第一次世界大戦はそうした激変であった。まず、イギリスは戦費を賄うために海外資産の一部を売り、アメリカに借金しなくてはならなかったので、利子収入は激減した。次に、大きな重要性わや持っていたインドへの輸出は、第一次世界大戦によって刺激された土着産業の成長と、急に力をつけた日本の繊維産業の挑戦によって、脅かされるようになった。さらに、ドイツの石炭生産の増大によって、石炭輸出も減少し始めていた。それに、なんと言っても、アメリカの力の飛躍的な増大があり、戦時中の新技術の急激な進歩があり、それに経済的ナショナリズムが台頭するということで、状況は文字通り激変したのであった」

 

この文章を読んで、現在の日本に対して危機感を覚えました。TPPなどの議論の際に、日本は国際競争力のある自動車産業などに特化して、農業などの国際競争力のない産業からは手を引いて、外国から輸入すればよい、との言説がメディアなどで盛んに流れていました。今後も日本の自動車産業が国際競争力を維持できる保証はどこにもありません。長期的に見ると、自動車は電動化が進み、巨大な電化製品になる可能性が高いです。所有から共有へという大きな流れもあります。中長期的にみると、自動車産業の勢力図は激変する可能性が高いと思います。食料は輸入すれば良いとの考え方も危険です。平時においては輸入すれば良いのでしょうが、世界規模での戦争や大飢饉が発生したらどうなるのでしょうか。言うまでもなく食料は人間の生存のための最重要産品です。自国民を飢えさせてまで外国に輸出するお人好し国家は存在しないでしょう。危機時において、自国で食料を賄えない国は亡びるしかありません。先のTPPの言説などは、平時しか想定しておらず、浅薄且つ危険だと思います。

 

ここまでは大英帝国の衰退を通して、「特化主義」の急激な変化に対する脆弱性について述べました。ここからは存在を矮小化する危険性について述べます。個人を例にとってみます。人間は本来、専門家ではなく、全体的な存在です。狩猟者であり、料理人であり、歌手であり、詩人でもあります。職業分化が進むにつれて、人間は本来の姿である全体性を喪失し、狭い範囲のことしか分からない偏狭な専門家へと化しつつあるのではないでしょうか。これは人間存在を矮小化していることに他ならないと思います。岡本太郎は職業を聞かれてこう答えたそうです。「職業は人間だ」なるほどと思いました。岡本太郎は一般的には芸術家として知られていますが、ピアノ、スキーの腕前はプロ級、思想家としても超一流でした。タレントでもありました。全体性を体現して、まさに「人間」として生きた人だったと思います。私もこうありたいと思っています。

 

いかがでしたでしょうか。2つの観点から「特化主義」の危険性について述べてきました。1つ目は急激な変化に対する脆弱性、2つ目は存在を矮小化する可能性が高いことです。国家も企業も個人も、本来は全体的な存在だと思います(政治用語としての全体主義を指していません)現代人は「特化主義」を超えて、全体性を回復する必要があると思っています。高坂氏が述べているように、人間は進化の過程で特化せざるを得ないことも事実でしょう。複雑化した社会において、全体を把握することは至難の業です。それでも、全体的存在であるという人間本来の姿を忘れずにいたいものです。