田舎暮らし in 熊野

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本居宣長の一生 〜プロを超えたアマチュア〜

本居宣長といえば、江戸時代に活躍した国学者であり、日本史の授業にも登場する日本史に残る偉人ですね。そんな本居宣長、実はアマチュア学者だったのです。現在の日本でアマチュアと言えば、プロより劣る存在であると一般的に考えられていますよね。野球を考えてみれば一目瞭然です。果たして本当にアマチュアはプロより劣るのでしょうか。必ずしもそうは言えないようです。本居宣長の一生を通じて、プロを超えるアマチュア精神について考えてみます。それは、自らの理想を貫徹する強靭なる精神と言えるのでしょう。

 

まず、プロとアマチュアを定義します。プロとは主たる収入源を当該職業によって得ている人を指します。アマチュアとは主たる収入源を当該職業によって得ていない人です。金銭収入が少しでもあれば、プロである、との定義をここでは採りません。あくまで主たる収入源を当該職業によって得ている人をプロと定義します。プロ野球選手でバラエティーなどのテレビ番組に出演している方は多いですよね。テレビ出演からも収入を得ていると思いますが、あくまで主たる収入源は野球ですね。ですので、野球に関してはプロ、芸能に関してはアマチュアである、となります。

 

本居宣長の話に戻ります。本居宣長古事記研究などの国学者として名前を知られていますよね。実は本居宣長の本職は学者ではなく、医者でした。朝昼は医者として活動して、仕事が終わった後の夜に学問活動をしていました。つまり、アマチュア学者だったのです。それにも関わらず、学問の世界に偉大な足跡を残したのです。なぜそんなことが可能であったのか。本居宣長は当時から大学者として知られており、何百人もの門人がいました。藩主に講義もしています。プロの学者として生計を立てることも当然可能だったでしょう。それでも本居宣長はあえてアマチュア学者を貫いたようです。

 

先日、本居宣長の生誕地であり、人生の大半を過ごした三重県松阪市にある、本居宣長記念館を訪れました。下の写真は本居宣長直筆の文章と本居宣長の住居、鈴屋です。

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記念館の資料によると、本居宣長は弟子たちに本業を持った上で学問に打ち込む必要性を説いていたそうです。その理由については書かれていませんでしたので、私の解釈を述べます。プロの学者になると生活のために自説を曲げざるを得なくなることを恐れていたのだと思います。曲学阿世の徒になりたくなかったということでしょう。生活の基盤をしっかり持った上で、アマチュアとして学問活動を行うことで、周りにおもねらずに自らの学問の理想を追求できると考えていたと思います。そして、実際にアマチュア学者にして超一流学者になりました。明治の文豪、森鴎外も同じですね。森鴎外の本職は医者です。作家としてはアマチュアでしたが、日本文学史に残る傑作を残しました。どこかの本で読みましたが、なぜ職業作家にならないのか、との問いに対して森鴎外はこのようなことを言ったそうです。「筆を汚したくないからだ」つまり、職業作家になると、周りにおもねって、書きたくないことまで書かなければいけなくなることを恐れたのでしょう。

 

一般的にはアマチュアはプロより劣ると考えられていますが、必ずしもそうは言えないのですね。本居宣長はあえてアマチュア学者を貫き、学問の世界に金字塔を打ち立てました。アマチュアであることで、周りにおもねらずに自らの学問の理想を追求できたのでしょう。

 

誤解のないように述べておきますと、アマチュアは常にプロより優れていると言っているわけではありません。プロとして偉大な功績を残した人は数知れないです。一般的にはプロはアマチュアより優れていると思います。ただ、自らの理想を貫くために、あえてアマチュアとして活動し、大きな業績を残した人物がいることも忘れずにいたいものです。