田舎暮らし in 熊野

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恐るべき人体部品産業の実態とは

人体を機械の部品のような商品として扱う産業が世界中で拡大しているようです。これは、一部の欲に目が眩んだ闇商人や、生命を操作したいという好奇心に駆られたマッドサイエンティストのみによる所業ではありません。アメリカでは、大企業、一流の科学者、弁護士などが輪になって、人体部品産業を大々的に推進しているのです。

 

アメリカの弁護士、市民運動家であるアンドリュー・キンブルの著書『生命に部分はない 原題:THE HUMAN BODYSHOP』を紹介します。著者は、人体部品産業の実態を赤裸々に書くと同時に、人体部品産業の生まれた思想的背景も丹念に述べています。専門的な話が多いですが、青山学院大学教授で生物学者福岡伸一氏による翻訳で非常に分かりやすい文章となっています。

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人体部品産業の実態について著書はこう述べています。

「世界中で何万人もの貧しい人びとが臓器を売っている。胎児組織の取引も盛んだ。人びとは金のために精子卵子を売るようになった。妊娠や赤ちゃんまでもが契約の対象となる。女性のからだは、生殖産業にとって金のなる実験室と化しつつある。動物たちはしばしば過酷な遺伝子操作を施され、人間の生体物質を効率よくつくり出す工場につくり替えられている。企業は人間の遺伝子や役に立つ細胞の特許化に奔走している」

 

私はこの中で特に遺伝子操作に危機感を覚えます。トランスジェニック動物が作製されているようです。トランスジェニック動物とは種の違いを超えて、遺伝子操作によって人為的につくり出された生物です。例えば、カリフォルニア大学の研究者たちは、細胞融合技術を駆使して、顔と角はヤギ、胴体はヒツジという姿を持つヤギとヒツジの合いの子動物を作り出しました。同じくカリフォルニア大学の研究者らは、ホタルの発光遺伝子を植物に導入して暗闇でも光る植物を生み出しました。そして恐るべきことに、アメリカ農務省研究センターの研究者は、ヒトの遺伝子が組み込まれたブタをつくり出しました。将来、半人半獣の生物が生まれないとは言えないところまで来ています。これは神話上の話ではなく、現実に起こりつつある事態なのです。

 

トランスジェニック動物の問題点は2つあると思います。一つ目は倫理的な問題です。人間が種の垣根を超えた新たな生物をつくり出してもいいのかということです。二つ目は生物学的な問題です。トランスジェニック動物が生み出される過程で、新種の病原体が現れたりして生態系が破壊される可能性は大いにあります。奇形生物が生まれる可能性もあります。実際にヒトの遺伝子を組み込まれて誕生したブタは、異常に毛深く、死産率が高く、身体に障害を持った個体でした。

 

著書は人体部品産業が生み出された二つの思想的背景について述べています。一つ目は、西洋近代合理主義の機械的生命観です。人間を含めた生物も機械と同じように規則的な法則に従って動くという思想です。しかし、人間は機械ではありません。肉体的に疲労しますし、価値観を巡る答えのない問いに迷いながら生きています。生物学的に考えても、人間と機械は異なります。人間を含む生物には、再生能力が備わっています。血や皮膚、内臓の一部は損傷しても再生します。

 

二つ目は、自由市場主義です。個人が利己心に基づいて、商品の売買を行えば、全体として最適な資源配分が達成されるという思想です。この考えに沿えば、すべてのものは商品として流通しても良いとなりますね。しかし、人間は商品ではありません。商品とは要らなくなったら捨てられるものであり、価格を通して優劣のランク付けがなされます。人間を商品として扱ってよいとは思えません。ただ実際には、人間の労働力は商品化されていますね。給料を得ている人は、自分という人間を労働力として売っているわけです。この労働力商品化の考え方を拡大解釈するかたちで、人体も商品として売買してもよいという考え方が現れてきたのだと思われます。

 

では、人体部品産業の暴走を止めるためにはどうしたらいいのでしょうか。著者は、「共感の原則」を取り戻すべきだと述べています。対人間にしろ対動物にしても、基本的姿勢は効率ではなく愛情であると。共感の姿勢で相手に接すれば、人体を機械の部品のような商品と見ることは出来ないはずだと。

 

自分自身を振り返ってみると、知らず知らずのうちに機械的生命観、市場主義に浸っていることに気づかされました。機械的、合理的にものごとを解明できるという思い上がり、あらゆるものごとを価格換算する癖。確かに、機械的世界観や市場主義が役に立つ場合もあります。ただ、尊厳のある生命としての人間を機械的商品と同等にみなしてはならないと思いました。