田舎暮らし in 熊野

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伝統と習慣の違いとは 〜小林秀雄の伝統論を読んで〜

伝統と習慣

似ているような似ていないような言葉ですよね。過去から続いてきたものを守るという意味では同じでしょう。小林秀雄は『伝統について』という批評文の中で、伝統と習慣を明確に区別し、守るべき伝統とは何かを論じています。

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本文を引用します。

「伝統と習慣とは、見たところ大変よく似ているが、次の点でまるで異なったものだ。僕等が無自覚で怠惰でいる時、習慣の力は最大であるが、伝統の力が最大となるのは、伝統を回復しようとする僕等の努力と自覚においてである。習慣はわざわざ見付け出して、信じるというような必要は少しもないものだが、伝統は、見付け出して信じてはじめて現れるものだ」

 

伝統と習慣の違いは、過去を存続させるための努力、自覚の有無にあるということですね。毎日、食事をしたり、お風呂に入ったりすることに努力はほとんど必要ないですよね。これは習慣です。対して、歴史的行事、例えば式年遷宮を守るためには、努力が必要です。建て替えのための物理的努力、伝承という精神的努力。努力を怠ると消え去ってゆきます。これは伝統です。絶え間ない過去の更新の営みとも呼べるでしょう。

 

日常生活でも、伝統と習慣を混同している場面に出くわします。例えば、仕事で新しいことを始めようとすると、必ずと言っていいほど反対する勢力がいますよね。今までの仕事がここまで続いてきたのには、正当な理由があるのであって、軽薄に変えてしまってはならない、伝統を守れ!と。この内実は多くの場合、新しい取り組みを行うのは億劫で、過去にしがみついていたいという人間の弱さの現れです。つまり、彼らが守ろうとしているのは伝統ではなく習慣です。

 

では、新しいことそのものに価値があるのでしょうか。それもまた違うように思います。新しい物事にすぐ飛びつく人間がいますよね。人間は絶えず進歩しており、常に、古いものより新しいものに価値があると。この考え方も伝統と習慣を混同しています。伝統とは、習慣のように固定的なものではなく、絶えず努力と自覚によって更新されるものです。

 

いかがでしたでしょうか。過去から続いてきたものを守るという意味では、伝統と習慣は同じに思えますが、実は全く異なるという話でした。伝統と習慣の違いは、過去を存続させるための努力、自覚の有無にあります。伝統を守るためには、努力と自覚が必要であり、絶え間なく過去の更新がなされます。対して、習慣を守るためには、努力は必要ありません。過去は過去のままです。私は習慣ではなく、伝統を守り続けたいと思います。