田舎暮らし in 熊野

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藤原京の面影を求めて 〜天香久山と大嘗祭〜

昨日、1300年ほど昔に日本の都であった藤原京跡を散策しました。現在の奈良県橿原市にあります。大和三山天香久山畝傍山耳成山)もこの区域に含まれています。天香久山にあります天香山神社を訪れましたところ、偶然にも宮司さんがいらして、興味深いお話を聞くことができましたので紹介します。

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天香久山は、古代より神の宿る神聖な場所として、信仰の対象だったようです。万葉集の舞台にもなっています。一番有名な歌は、百人一首にも収められている持統天皇の歌でしょう。

「春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山」

現代語訳:春が過ぎて夏がやってきたようだ 白い衣が干してある 天の香具山に

天香山神社は、占いの神を祀っています。古事記によると、天香久山に生える波々迦(ははか)という木の皮で天香久山の雄鹿の骨を焼いて吉兆を占ったようです。

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宮司さんによると、この伝統は現代にも脈々と受け継がれています。実は、大嘗祭天香久山の波々迦は深い関係があります。大嘗祭は、新天皇が即位後に初めて行う新嘗祭のことです。今年の11月に行われますね。大嘗祭で神々に供される初穂を育てる場所を決める「斎田点定の儀」という儀式があります。この場所を決めるために、亀卜(きぼく)という占いを行います。亀の甲羅を焼いて、ひびの入り具合で占います。この時、亀の甲羅を焼くために、古代からの伝統に則って、現在でも天香久山の波々迦が用いられています。今年の春、天香久山の波々迦の木の枝を宮内庁に奉納したそうです。占いの結果、京都と栃木の稲が大嘗祭で用いられることが決まりました。

 

宮司さんがこのようなことをおっしゃっていました。

「現代という科学の時代に、占いという合理的ではないと思われる方法で重大事を決めるのは腑に落ちないかもしれませんよね。私としては、占いが当たるか当たらないか、科学的根拠の有無ではなく、いにしえの人々が物語を紡ぎ出し、それを長い間に渡り語り継いできたという伝統を大切にしたいのです」

私も同感です。太古の昔から現在まで、人間を揺り動かしてきたのは、ある意味で根拠の定かでない「物語」なのではないでしょうか。神話、宗教、思想、倫理、国家、お金等々。お金がなぜ物語の一種なのでしょうか。例えば一万円札で考えてみます。一万円札があれば、一万円分の商品と交換できると皆が信じているから価値を持っているわけです。大多数が一万円札の価値を信じなくなれば、単なる紙くずと化します。お金の価値を支えているのは、お金には価値(交換価値)があるという人々の「信仰」であり、そこに科学的根拠はありません。

 

話を戻します。私は物語を語り継いでいくという人間の営みの中に伝統の本質があるのではないかと思います。廃墟と化したアテネパルテノン神殿よりも、今も生き続けているプラトンアリストテレスの思想の中に伝統を感じるということです。

 

もちろん時代に応じて、変えていくべきは変えていくべきだと思います。現代の外交政策や経済政策を占いで決めるべきだとは全く思いません。ただ、物語を語り継いでゆく人間の姿勢の中にある「伝統」を大切にしていきたいと思います。

 

いかがでしたでしょうか。太古から続く天香久山の占いの伝統が、現代の大嘗祭にも受け継がれていると言う話でした。物語を語り継いでいく人間の営みの中に伝統の本質があるのではないかという話でした。かつて日本の都であった藤原京の跡地は、現在では田園風景が一面に広がる田舎です。都市の物質的繁栄は失われましたが、天香久山の伝統の中に歴史は脈々と生き続けています。

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