田舎暮らし in 熊野

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現代人は故郷喪失者か 〜寺山修司の故郷論を読んで〜

「男は誰でも故郷を持っている。それは女にはないものである。女は、生きていた月日を思い出すとき、それが夫であったり、家であったり、山鳩の啼いている森であったり、お祭りであったりする。だがそれは故郷とは別のものだということを男は知っている。故郷というのは、二度と帰ることの出来ないものであり、いつもさびしいものなのである」

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寺山修司の『悲しき口笛』というエッセイの中の文章です。男にとっての故郷は、実態ではなく、想像の産物であり、幻想、ユートピアである、という意味かと思います。女性は想像の故郷を持っていないのかどうかは私は女性ではないので分かりません。一般論としては、女性は実態的、現実的に考え、男性は想像的、空想的に考えるという傾向はあるのかもしれません。それはさて置き、私は寺山修司の故郷論をよく分かる気がします。私にとっての故郷は、具体的な生活、人間関係、自然の手触りというより、失われた心の原風景のように思えます。英語のノスタルジアポルトガル語サウダージの語感に近いです。

 

ドイツの哲学者ハイデガーは、現代文明の本質はハイマート・ロス(故郷喪失)であり、地に足をつけた温かい故郷を取り戻さなくてはならない、というようなことを述べていました。地域共同体から切り離されて、アトム(原子)と化した個人の孤独に現代文明の危機を見ていたのでしょう。文明論的に見ると、私もハイデガーの意見に賛成です。現代人の孤独を癒すためには、中間共同体の再興、自然との触れ合いが必要でしょう。ただ、文学的に考えると逆かもしれません。寺山修司が言うように、人は故郷を喪失することで、逆に故郷を回復するのかもしれません。実態としての故郷を失うことで、想像の故郷を取り戻すという逆説。室生犀星の有名な詩を思い出しました。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」

 

いかがでしたでしょうか。現代人は故郷喪失者なのでしょうか。イエスでありノーです。現代人は実態的には故郷喪失者であり、想像的には故郷回復者といえるのでしょう。