田舎暮らし in 熊野

田舎暮らしの日常、旅行、グルメ、読書について書いています。

現代人が失ってしまったもの 〜夜の喪失と物語の終焉〜

百鬼夜行

あまたの鬼や妖怪が暗闇の中をうごめいている様子ですね。昔の人の夜に対する恐怖感を示している言葉と言えるでしょう。現代人も夜に対する恐怖感を引き継いでいると思いますが、かつて程ではないでしょう。街灯、ネオンに煌々と照らされた都市を夜中に歩いても恐怖感を覚えることはあまりないですよね。昔の人(人工照明普及以前の人々)にとって夜は恐るべき時でした。暗闇に紛れ込んだ盗賊に襲われたり、溝に落ちて怪我をしたり、はたまた獣に遭遇したりと。

 

現代人は人工照明を得たことで「夜」を喪失しました。引き換えに安全や利便性を得ました。「夜」の喪失によって失われたものとは何だったのでしょうか。それは豊穣なる物語の源泉だったのではないかと思います。得体の知れない、不安に満ちた暗闇の中で想像力を膨らまして物語をつむいできたのではないかと。幽霊話や妖怪譚だけではなく、神話の重要場面においても暗闇が登場します。例えば、旧約聖書の創世記において世界の始原は暗闇であったとされています。神が「光あれ」と言われたことで世界に光がもたらされたとされています。日本ですと古事記の天岩戸神話が有名ですね。アマテラスオオミカミは弟のスサノオノミコトの暴虐を憂いて岩に隠れてしまいました。その途端に世界が闇に包まれてしまい、神々が困り果ててしまったという話です。これらの神話が示しているのは、暗闇は人間にとって根源的な恐怖だったということでしょう。そして暗闇は神話の大きな源泉だったのだと。

 

ヴァージニア工科大学歴史学教授、ロジャー・イーカーチは著書『失われた夜の歴史』の中でこう述べています。

f:id:kumanonchu:20200119135701j:image

「夜空の名残の美しさ、闇と光の交代周期、そして日々繰り返される視覚と音からの一時休止-これらはすべて照明が強化されることで損なわれてしまうだろう。独自の夜の生活パターンを持つ生態系は計り知れないほどの打撃を受けるだろう。闇がなくなれば、プライバシーや親密さや内省の機会がいっそう少なくなるだろう。そのような明るく照らされた時代になったら、我々は人間にとって不可欠な要素を失うことになるのではないだろうか-永遠と同じくらい貴重なものを。それは、暗い夜の深みで、疲れ切った魂が熟考するための支えとなるビジョンである」(樋口幸子・片柳佐知子・三宅真砂子訳)

「疲れ切った魂が熟考するための支えとなるビジョン」それは物語の源泉だと言い換えることができるのではないでしょうか。闇がなくなれば内省の機会が減るとはどういう意味でしょうか。著者によると、人工照明が現れる以前の西ヨーロッパ人の多くは、分割睡眠をとっていたとのことです。江戸時代以前の日本人も同じだったと思われます。夜の早い時間に就寝し、夜中に目覚めて、夢に出てきた幻想について思索を巡らし、再度眠りについていたと。人工照明の普及によって、現代人の「夜」は短くなり、睡眠時間が減ることで、夜中に目覚めて思索する機会を失ってしまったのかもしれませんね。

 

いかがでしたでしょうか。現代人は人工照明を得ることで「夜」を失い、安全や利便性を獲得しました。それと引き換えに豊穣なる物語の源泉や思索の機会を減らしてしまったのかもしれません。現代人は意識的に暗闇で過ごす時間を増やした方が良いのかもしれませんね。私は現在、人口300人程の田舎の小さな漁村で暮らしています。夜になると暗闇に包まれ、外に出ると鹿や猪などの獣に遭遇します。基本的に夜の外出はせずに、早い時間に眠りについています。鹿の鳴き声や潮騒、木々のざわめきで夜中に目覚まして、しばし物思いにふけることがあります。こういう生活も悪くないのかもしれないですね。