田舎暮らし in 熊野

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廃墟の可能性〜紀州鉱山跡地を訪ねて〜

「このキャンパスは出来た時から廃墟であった」

 

私が大学生1年生の時に受講した西洋哲学史の授業で先生がおっしゃっていたことです。聞いた時は腑に落ちませんでした。当時の大学キャンパスは出来てから10年も経っていない新しい建物でしたし、数千人の学生が通うキャンパスが廃墟とはどういうことなのだろうと。こういう意味でした。生命を持った人間がつくる建築物、文明は否応なく滅びる運命にある。生まれた時から死に向かっているのだと。ドイツの哲学者、ハイデガー存在論と絡めた話でした。大学の授業で習ったことは、今やほとんど忘れてしまいましたが、この話はよく覚えています。

 

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三重県熊野市紀和町にある紀州鉱山跡地を訪れました。紀州鉱山はかつて東洋一の規模を誇った巨大鉱山です。1934年から1978年まで44年間稼働していました。なんと24時間稼働していたようです。かつての紀和町は鉱山労働者で賑わい、人口は1万人以上にも達していました。町内に映画館が5つもあったそうです。紀和町の現在の人口は千人少しと、往時の10分の1程度まで激減しています。映画館はもはや一つもありません。

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かつては鉱物を積んだトロッコ電車がせわしなく走っていたであろう線路跡です。今や廃墟です。休日にも関わらず人影はなく、ひっそりしています。時折、鳥のさえずりが聞こえます。

 

私は不思議に廃墟に惹かれます。廃墟を見ていると、ありし日の繁栄の姿が想い浮かぶのです。想像力を刺激されるのかもしれません。鉱物を乗せてせわしなく動き回るトロッコ電車、汗水を流しながら労働者がつるはしで鉱物を掘り起こす金属音が坑内に響き渡り、辺りには怒号も飛び交っていたのでしょう。もちろん鉱山労働は大きな危険を伴う重労働だったのであり、理想化するべきではないとの意見もあるでしょう。確かにその通りでしょう。ただ、危険を顧みずに必死に働く人々で賑わっていた町の姿に、生命のうねりのようなもの感じることも事実です。

 

廃墟に惹かれるもう一つの理由は、廃墟が人生そのものを想起させるからです。人は生まれた時から死に向かっていきます。賑やかな都会にいると、繁栄がいつまでも続くという錯覚に囚われがちですが、そんなことはあり得ません。紀州鉱山は40年前まで多くの人々で賑わっていましたが、今や廃墟です。よく考えると史跡の大半は廃墟のようにも思えます。アテネパルテノン神殿、ローマのコロッセオ、これらも廃墟でしょう。かつては世界の中心だった場所です。廃墟たる史跡を訪れて、生と死の意味を考える、史跡巡りの心理的背景をこのように考えることもできるのかもしれません。

 

かつて東洋一の規模を誇った紀州鉱山の廃墟を訪れて、ありし日の繁栄の姿に想いを馳せました。そして生と死について少し考えてみたという話でした。

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廃墟近くの桜が満開でした。春ですね。