田舎暮らし in 熊野

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トナカイ遊牧民の世界観とは 〜生と死の分断を超えて〜

トナカイというとサンタクロースを思い出す方が多いですよね。北欧のイメージが強いかもしれません。今回紹介するトナカイ遊牧民は、ロシア極北シベリアのカムチャッカ半島に暮らしています。彼らはコリヤークと呼ばれている先住民族です。

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北海道大学教授で文化人類学者の煎本孝氏の著書『トナカイ遊牧民、循環のフィロソフィー  極北ロシア・カムチャッカ探検記』を通して、コリヤークの世界観を紹介します。

 

コリヤークの世界観、それは、生命は永遠に循環しているというものです。コリヤークは、季節が巡り巡り、月の満ち欠けが循環しているように、人間の生命も循環していると信じています。彼らにとって生と死は断絶したものではなく、繋がり、そして循環しているのです。赤ん坊は死者の国からの生まれ変わりであると信じられています。

 

コリヤークは、火葬の場において、相撲や球技を行い、賑やかにするそうです。なぜでしょうか。本文を引用します。

「私は、そこで死体が焼かれているという厳粛で悲しいはずの火葬の場において、競技に熱中する人々の喚声と笑い声を聞きながら、不思議な感覚を覚えた。この無秩序に見えた状態は、じつはまさにそれが無秩序な場であったからこそなのである。秩序とは、物事を分類、整理し、その境界を決めることである。2つの世界が出合い、その境界が取り払われたこの特別な場こそ、秩序そのものが存在しない場だったのである。この特別な場は原初的同一性の場といってもよい。原初的同一性とは、現実世界の二元的対立項が本来的には同一のものであるとする観念として定義される」

葬儀という生と死の境界線が曖昧な場に競技という「遊び」を導入することで、生命の循環を再確認しているといえるのではないでしょうか。著書によると、競技は対立するものの衝突と和解の過程から成り立っており、1つの融合の場を形成します。葬儀と競技、これらは分離ではなく、融合という観念によって繋がっているといえます。

 

いかがでしたでしょうか。極北の地に暮らすトナカイ遊牧民、コリヤークは、生命の循環を信じる世界観を持っているという話でした。私は、コリヤークの世界観にどこか親近感を感じます。いわゆる生まれ変わりを信じているわけではありません。個体としての生命は一回限りのものでしょうが、生命全体では循環していると考えられるのではないでしょうか。桜の花は、毎年春に咲き、そして散っていきます。その繰り返しですよね。毎年同じように見える桜の花、個体レベルでいえば毎年違う花が咲いているわけです。だけれども、桜の花という生命全体でいえば循環していると言えましょう。生まれては消え、消えては生まれる、その循環に生命の本質があるように思えます。