レトロモダンの可能性とは 〜大阪・空堀商店街を散策して〜
レトロモダンとは、新旧融合のさまのことですね。懐かしい趣の中に、現代的、未来的な洗練を感じることです。温故知新とも言えます。例えば、最近都市部などで流行している古民家を改装したお洒落なカフェなどです。
本日、大阪の中心部に近い場所にある空堀商店街を散策しました。大阪の下町風情の残る商店街です。昔ながらの魚屋さんや八百屋さんなどが軒を連ねています。汗だくの大阪のオッチャンがタンクトップ姿で声を張り上げていました。
「どや、ええのんあるでぇ。買ってってや」
空堀商店街は、単にレトロ感を感じさせる場所ではなく、古民家、古い商店を改装したお洒落な飲食店や雑貨屋、美容院なども沢山ありました。まさにレトロモダンな場所でした。
狭い路地に「呂」という小さな看板が掲げられていますね。このお店はモダンなバーらしいです。昔ながらのスナックかと思ってしまいました。
レトロモダンは一時的な流行なのでしょうか。そうではないと思います。古今東西に見られる動きと言えましょう。中世ヨーロッパで興ったルネサンスは、古代ギリシア、ローマ文化復興運動です。和歌の本歌取りも同じですね。本歌取りとは、新古今和歌集の時代に盛んになった和歌の技法です。古歌の語句や趣向を取り入れて作歌することです。
このように考えると、レトロモダンは普遍性を持ったある種の思想と言えるのかもしれません。レトロモダンの思想の核心は、時間の連続性だと思われます。過去の積み重ねの上に現在があり、そして現在の先に未来が続いてゆくという時間意識。過去を理想化する懐古趣味やひたすらに新しいものを良しとする進歩主義とは違います。懐古趣味は過去しか見ていませんし、進歩主義は未来しか見ていないように思われます。対して、レトロモダンの思想は、過去、現在、未来を架橋する広大な時間意識を有しているように思えます。現代人が孤独感を抱く一つの原因として、時間の連続性意識の喪失があるのではないでしょうか。過去と未来から切り離されて、現在に孤立しているという不安。その意味ではレトロモダンの思想は現代人の孤独感を癒す可能性があるのかもしれません。
大阪の空堀商店街を散策しながら、レトロモダンの思想について考えてみました。レトロモダンとは、時間の連続性を持った思想であり、現代人の孤独感を癒す可能性があるという話でした。