田舎暮らし in 熊野

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村上春樹に学ぶ文章の極意とは

「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」

 

アメリカの作家、レイモンド・チャンドラーの文章です。今や世界的作家となった村上春樹さんは、文章の極意をこの表現の中に見ています。作家の村上春樹さんと川上未映子さんの対談集『みみずくは黄昏に飛びたつ』を通して、村上春樹さんの考える文章の極意を紹介します。この対談集は、川上未映子さんが村上春樹さんに質問し、村上春樹さんがそれに答えるという形式になっています。

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村上春樹さんは、本文の中で小説の極意についてこのように述べています。

「小説的な面白さとか、構築の面白さとか、発想の面白さというのは、生きた文章がなければうまく動いてくれません。生きた文章があって初めて、そういうのが動き出す」

物語の意味や構成よりも、文章という表現そのものの方が重要だということですね。では具体的に良い文章とはどのようなものでしょうか。それは、言葉の響きであり、具体的な身体的な響きを持った文章だと述べています。ここで冒頭の文章に戻ります。

「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」

この表現だと、具体的な情景が目に浮かびますよね。これが具体的な身体的な響きを持った文章ということです。確かに太った郵便配達人は見たことないです。

「私にとって眠れない夜は稀である」

稀という表現だと抽象的で、生き生きとした情景が立ち現れて来ないですね。

 

私はこの対談集を読んで、フランスの文芸批評家、ロラン・バルトの日本文化論『表徴の帝国』を思い出しました。バルトは絶えず意味を探求する西洋を「意味の帝国」と呼びました。対して、意味に囚われずに表徴の世界を軽やかに楽しむ日本を「表徴の帝国」と呼び、好意的に描きました。例えば、歌舞伎。物語の内容よりも、華麗な衣装や表現そのものを楽しむ舞台芸術としてとらえました。村上春樹さんのいう生きた文章とは、バルトの言うところの表徴の軽やかな動きに近いと思いました。

 

いかがでしたでしょうか。村上春樹さんに学ぶ文章の極意とは、物語の意味や内容よりも、文章という表現そのものが重要だという話でした。良い文章を書くためには、具体的で身体性を伴った、生きた表現を心がける必要があるということですね。村上春樹さんは、文章の極意を伝えた上でこのようなことも述べています。

「それ(文章をうまく書く力)はある程度生まれもってのものだから、まあ、とにかくがんばってください」

あらまあ、やっぱり才能なのかな。。。