田舎暮らし in 熊野

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百年の孤独と永遠についての物語

「さよならだけが人生だ」

井伏鱒二

 

「人生は崩壊の過程だ」

フィッツジェラルド

 

人生の虚無や孤独を語った言葉ですね。では、彼らはいわゆる厭世家、ニヒリストだったのでしょうか。そうではないと思います。理想を追い求めて行きた人びとでした。心の中に虚無感や孤独を内包しながら、理想に生きる、つまり、不可能の可能性を探求しながら生きることは可能でしょうか。コロンビアの作家、ガルシア=マルケスの小説『百年の孤独』を通してこの問題について考えてみます。

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百年の孤独』は1967年に出版されて、世界的ベストセラーになった小説です。ラテンアメリカ文学の最高峰といわれています。著書のガルシア=マルケスは、後にノーベル文学賞を受賞しました。私は大学生時代にスペイン語の先生からこの小説を勧められて読みました。当時の私にとっては、難解で読み切れなかった小説です。約15年ぶりに読み返してみました。

 

この小説は、とある数奇な運命を辿った一族の興亡、主に崩壊の過程を通して、人生、孤独、愛、永遠の意味を問うています。ブエンディア家の始祖であるホセ・アルカディオとその妻、ウルスラは、マコンドという町を築きます。この一族の人びとは、波乱万丈の人生を送り、100年後に町とともに、蜃気楼のように消え去っていきます。

 

本文を引用します。

「彼ら(波乱万丈の人生を送ったブエンディア家の先祖たち)の声をまざまざと聞き、激しい執念は死よりも強いことを知った。現在、昆虫たちが人間から奪おうとしている惨めな楽園(マコンド)であるが、未来の別の種類の動物がそれを昆虫たちから奪ったそのあとも、亡霊となって愛しつづけるのだと確信することで、ふたりは幸福感を取り戻すことができた」

「日常的でしかも永久的な唯一の現実が愛でしかない空虚な世界を、彼らはふたりしてさまようことになった」

ここで出てくるふたりとは、一族最後の人びとである、アラマンタ・ウルスラとアウレリャノを指します。ふたりは愛し合っています。

 

「日常的でしかも永久的な唯一の現実が愛でしかない空虚な世界」なんとも壮絶な言葉ではないでしょうか。個々の生命や、一族、社会は、否応もなく滅びていきます。ただ、強い想いだけは、生き続ける、ということでしょう。最初の問いに戻ります。心の中に虚無感や孤独を内包しながら、理想に生きる、つまり、不可能の可能性を探求しながら生きることは可能でしょうか。私がこの本を読んで、可能であると思いました。生命は滅んでも、強い想いだけは生き続けるのだと。