田舎暮らし in 熊野

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知の巨人、南方熊楠と地域主義

南方熊楠とは、いかなる人物であったのか。一般的には明治、大正、昭和を通して活躍した博物学者とされていますね。南方熊楠は多面的な活動を行った人物であり、一面的には捉えられない人物です。学者としては、人文、社会、自然科学すべてに渡る学問を研究しました。具体的には、文学、思想、宗教、民俗学、植物学、粘菌学等々です。アメリカに6年、イギリスに8年間滞在しました。10ヶ国語を解したといわれており、語学の達人でもありました。帰国後は自然豊かな熊野に住みながら、植物学、菌類学等を研究しました。神社合祀反対運動を行い、自然保護、地域社会保護を訴えた行動家でもありました。知の巨人であることは、間違いないですが、大学や学会に籍を置くことはなく、無位無官の在野の学者として生涯を全うした人物です。

 

現代的な表現をすると、南方熊楠はグローバリストであると同時にローカリストでもありました。グローバリストの側面としては、長く海外で暮らし、学問活動は主に英語で行ったことなどです。ローカリストとしては、山深い熊野に住みながら、自然保護や地域社会保護活動を行いました。今回はローカリストとしての南方熊楠を取り上げて、現代の地域主義との関係について考察します。上智大学教授を長らく務めた社会学者、故鶴見和子氏の著書「南方熊楠 」を参考にします。

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南方熊楠が精魂を傾けた神社合祀反対運動について説明します。明治政府は、近代化を効率的に進めるための戦略として中央集権化を進めました。そのための方策の一つとして、市町村合併を推進しました。市町村合併にあたり、各行政単位ごとに1社を原則にし、神社合祀(神社の統廃合)をはかりました。1906年から1911年の間に全国で約8万もの神社が合併、または廃止されることになりました。神社合祀の何が問題だと南方熊楠は考えたのでしょうか。本文を引用します。

「南方は、植物学者として、神林の濫伐が珍奇な植物を滅亡させることを憂えた。民俗学者として、庶民の信仰を衰えさせることを心配した。また村の寄合の場である神社をとりこわすことによって、自村内自治を阻むことを恐れた。森林を消滅させることによって、そこに棲息する鳥類を絶滅させるために、害虫が増え、農産物に害を与えて農民を苦しめることを心配した。海辺の樹木を伐採することにより、木陰がなくなり、魚が海辺によりつかず、漁民が困窮する有様を嘆いた。産土社を奪われた住民の宗教心が衰え、連帯感がうすらぐことを悲しんだ。そして、連帯感がうすらぐことをによって、道徳心が衰えることを憂えた。南方は、これらすべてのことを、一つの関連ある全体として捉えたのである」

 

自然と地域社会がつながるトポス(場)として、南方熊楠は神社をみていたのですね。神社が失われることは、自然破壊、地域社会の衰退に繋がるのだと。

 

翻って現代。平成の市町村合併によってさらに行政府は減少しました。最近の地方再生論の中には、地方衰退は不可避であり、地方の拠点都市に人口を集約させようという意見があります。南方熊楠が生きた人口増大期と人口減少期の現代では事情が異なることも確かです。行政効率や経済効率の観点からは、集約が望ましいのかもしれません。しかし、文化の多様性維持の観点からは、小さな地域や共同体の保護が大切なように思えます。日本全国、ミニ東京、プチ東京だらけの画一化された社会が、本当の意味での豊かな社会だと私は思いません。私は現在、田舎の限界集落に暮らしています。人口は300人を切り、65歳以上の方々が大半で消滅の危機にあります。厳しい状況ですが、生まれた故郷に愛着を持っている方がほとんどです。地方再生にあたっては、行政、経済効率の観点からだけでなく、各地域の持っている文化的多様性を守るという視点も忘れずにいたいと思います。