田舎暮らし in 熊野

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日本料理を哲学する~ロランバルトの『表徴の帝国』を読んで~

日本料理というとお刺身や塩焼きなど素材の味を生かしたシンプルな料理が頭に浮かびますよね。日本料理はシンプルであるが故に、実は奥深い料理なのです。

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戦後にフランスを中心に起った現代思想の一大潮流、構造主義を代表するフランスの文芸批評家、ロランバルトの『表徴の帝国』を通して日本料理を哲学的に考察してみます。『表徴の帝国』はロランバルトが1960年代後半に日本を訪れた体験を基に、日本の料理、芸能、文学、建築等様々な観点から日本を論じた著作です。外国人による日本論はあまたありますが、個人的には一番好きな本です。

 

バルトは本書の中ですまし汁を例にとって、日本料理についてこう述べています。

「フランスにあっては、すましスープは貧弱なスープである。だが、ここ日本では、お湯のような流動性をもつ、スープの軽とやかさ、そこに入れられた大豆や、いんげん豆の微細な断片、二つ三つの個体の希薄さ(草の芽、野菜の繊維、魚の薄い肉片)、これらが少量のお湯の中にただよって、澄んだ濃密という観念、脂肪のない栄養分という観念、純粋になればなるほど強力になる霊薬という観念を与える。微妙に海の匂いの宿る水棲の(水性の、という以上の)なにものかが、ものの生命が生まれる泉、深い生命源を瞑想させることになる。日本料理は、(明澄性から分離可能性へと)還元される物質の体系のなかに、つまり、表徴作用をもつものの動揺の中に、成立する。そこにこそ表現体(エクリチュール)の基本的な特徴がある。表現体とはまさしく言語の動揺のうえにあらわれでるものなのだから」

 

分かったような分からないような難しい文章ですね。バルトは自身の言語哲学を敷衍する形で日本料理を論じています。バルトの言語哲学を説明するために鍵となる3つの言葉(表徴、意味、表現体)について説明します。「ありがとう」という日本語を例にあげます。「あ・り・が・と・う」という音声が表徴(シニフィアン)です。この音声そのものに意味があるわけではありません。日本語理解者以外にとっては純粋な音声でしかありません。意味(シニフィエ)は感謝の気持ちであったり、相手に対する思いやりです。表現体(エクリチュール)は表徴と意味の間の揺らぎのようなものです。基本的には「ありがとう」という言葉は、感謝のような肯定的な意味を持った言葉ですよね。ただ、場合によっては違う意味合いを帯びることがあります。嫌がらせを受けた相手に対して、「ありがとう」という場合、辛辣な皮肉の意味合いを帯びることもあるでしょう。この揺らぎが表現体です。

 

バルトは本書の中で西洋を「意味の帝国」、日本を「表徴の帝国」と述べています。西洋は絶えず意味を探求してきた社会です。ギリシャ哲学のプラトンイデア論、近代合理主義等に表れています。人間とは何か、真理とは何か等々。対して日本は歴史的に意味より表徴そのものを楽しむ文化です。俳句を例にあげます。松尾芭蕉の有名な俳句「古池や 蛙飛び込む 水の音」この俳句になんらかな意味を読み取るというよりも、カエルが池に飛び込んで水の音がした、という表徴そのものを楽しむ俳句かと思われます。

 

自由で自立した個人が合理的な決定を下すことができるという西洋近代合理の前提は、第一次、二次世界大戦の惨状によって崩れ去りました。不確かな人間が考え出した「意味」そのものに疑問を投げかける必要がある、バルトの思想が生まれた背景には、このような時代状況があると思われます。

 

バルトは意味の帝国たる西洋社会にある種の精神的な重たさ、窮屈さを感じ、表徴そのものを軽やかに楽しんでいる日本に魅力を感じているわけです。

 

日本料理の話に戻ります。重要なポイントを再度引用します。

「日本料理は、(明澄性から分離可能性へと)還元される物質の体系のなかに、つまり、表徴作用をもつものの動揺の中に、成立する」

明澄性とは食材そのもの、例えば市場に揚がったばかりの魚です。言語における表徴に対応するものかと思われます。分離可能性とは料理、例えばお刺身です。言語においては意味に相当するものかと思われます。日本料理においては、食材と料理の間に断絶がなく、揺らぎがあると述べています。一般的に食材に複雑な手をかける西洋料理だとこうはいきません。例えば、テリーヌやパンプキンスープは、食材の原型をほとんどとどめていませんよね。よって、西洋料理の場合には食材と料理が断絶しがちです。

 

日本料理に見られる、食材と料理の間の揺らぎがなぜ魅力的なのか。料理の中に深い生命源を感じるためだとバルトは述べています。

 

いかがでしたでしょうか。日本料理は素材を生かしたシンプルな料理であるため、食材と料理の間に揺らぎがあり、深い生命源を感じさせる魅力的な料理である、という話でした。ロランバルトの『表徴の帝国』を通して、哲学的に日本料理を考察してみました。