源実朝の一生 〜滅びの美学と秋の思想〜
ヤマトタケルノミコト、源義経、楠木正成、忠臣蔵の赤穂浪士、西郷隆盛。日本人の愛する歴史上の人物といえば、これらの人物の名前があがるのではないでしょうか。ヤマトタケルノミコトは伝説上の人物ですが、実在の人物をモデルにしていると思われます。これらの人物に共通しているのは、滅びの美学を体現した人物であったということです。
滅びの美学とは、滅びの運命を主体的に引き受ける生き方だと思います。例えば、西郷隆盛は西南戦争で自らが率いる旧士族軍が政府軍に勝てるとは思っていなかったでしょう。それにもかかわらず、西郷隆盛は全身全霊で戦い、そして故郷の薩摩の地に散っていきました。
滅びの美学を体現した人物の一生を書いた『秋の思想 かかる男の児ありき』という本を紹介します。著者は早稲田大学教授を長く務めた日本政治思想史家の故河原宏氏です。「秋の思想」の秋は、季節の秋ではなく、人生の黄昏といった意味です。つまりは、滅びゆくものたちの思想という意味です。
この本の中で滅びの美学を体現した人物として、源実朝が出てきます。源実朝は、鎌倉幕府の第3代征夷大将軍であり、歌人としても名を成した人物です。鶴岡八幡宮を参詣中に甥の公暁に暗殺され、28年の人生に幕を閉じました。
「大海の磯もとどろによする波 われてくだけてさけて散るかも」
実朝の代表的な和歌です。大海の磯に打ち寄せて、破れて砕けて散ってゆく波の姿に自らの運命を重ね合わせた歌と言われています。悲劇的な自らの運命を予期していたのでしょうね。実朝は家臣の大江広元から、参詣の際に身につける衣服の下に鎧を着けるように勧められましたが、拒否し、自らが予期していた通りに暗殺されました。本文を引用します。
「他者はもとより、雁や「ものいはぬ四方の獣すらだにも あはれなるかなや親の子を思ふ」とあらゆる衆生に寄せる実朝の優しさは、これらの悲惨を他に転化することなく、自らの運命と感じとる諦観と覚悟から生まれている。それは死・没落・滅亡の運命を直視してたじろがぬ男性的な優しさである。おそらく実朝のような、そして人間にとって本当の優しさとは、人生と世界と将来の運命を諦観と覚悟の観点から見ることから生まれる」
実朝は滅びと死を覚悟で、優しさをもって精一杯生きたのですね。現代社会を覆う成功至上主義や、その裏返しとしてのニヒリズムとは正反対の生き方であり、現代人にはなかなか理解できないのかもしれません。ただ、滅びの美学を体現した歴史上の人物が今でも愛されていることを鑑みると、滅びの美学と秋の思想は、日本人の潜在意識の中で今も脈々と生き続けているのかもしれませんね。