田舎暮らし in 熊野

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田舎ユートピア論はなぜ危険なのか〜アジア主義者の挫折〜

田舎は、不便で経済的に疲弊している悲惨な場所なのでしょうか。以前、『田舎暮らしは悲惨か』というブログでこのような考え方に対する反論を書きました。田舎は都会暮らしの行き詰まりを打開する可能性を持った豊穣の地であると。では、田舎は豊かな自然、温かい人間関係に満ちたこの世の理想郷なのかというと残念ながらそうではありません。自然災害にさらされやすいですし、人間関係が濃いが故のトラブルもあります。今回は、田舎ユートピア論の危険性をアジア主義者の挫折と絡めながら考察してみます。

 

アジア主義をご存知でしょうか。明治から昭和の敗戦に至るまで日本を始めとしたアジアで影響力を持っていた思想、運動の一つです。アジアが力を合わせて西洋列強の植民地主義と戦い、アジアを解放しようという思想です。戦後は、軍国主義の思想的背景になったとして危険思想として扱われるようになり、表立って語られることはなくなりました。有名なアジア主義者としては、岡倉天心頭山満宮崎滔天孫文北一輝大川周明などが挙げられます。アジア主義の主張の是非はさておき、戦前において大きな影響力を持っていたことは事実ですので、近現代史理解のためには知っておく必要があるかと思います。

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現在の兵庫県庁の裏に孫文の大アジア主義演説を記念する表札が立っています。

 

ではなぜ、アジア主義と田舎ユートピア論に関わりがあるのでしょうか。アジア主義者の多くは田舎をユートピアとして見ていました。堕落した都市文明に対して、純粋無垢な田舎を理想郷と見ました。そんなアジア主義者の一人に下中彌三郎がいます。東京工業大学教授で近代思想史を研究している中島岳志氏の著書『下中彌三郎-アジア主義から世界連邦運動へ-』を紹介します。

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下中彌三郎は、現在も続く出版社、平凡社の創業者にして、教育者、労働運動家でもありました。1878年兵庫県の立杭という田舎で生まれました。やがて、教育者として東京に出ることになります。そしてアジア主義に基づく言論活動を始めました。

 

本文を引用します。

「彼(下中彌三郎)は近代教育を否定し、農村の生活の中に目指すべき教育がすべて含まれていると主張する。学校はただちに廃止してよい。その代わり、都市文化から農村文化に回帰すれば、生活の中に教育は含有され、真の幸福がもたらされる」

 

まさに田舎ユートピア論ですね。ではなぜ、田舎ユートピア論が危険なのか。それは、ユートピア論は純粋化すればするほど、排除の論理を内包するに至るからです。

再度、本文を引用します。

「幻想への邁進は、同意しない他者への不寛容を生み出す。時にそれは暴力化し、激しい攻撃として牙をむく。下中の「民衆文化」礼賛論は、民衆世界から乖離したことによって誕生した」

 

日本の敗戦によってアジア主義は挫折しました。アジア主義の挫折の原因は何だったのでしょうか。一概には言えませんが、過度の理想主義があったのではないでしょうか。理想が純化すればするほど、理想に同意しない他者に対する攻撃性を持つことになる。過激化した思想は、大衆の支持を失い、やがて敗北するに至るのではないでしょうか。

 

現在の田舎ユートピア論に話を戻します。現在でも、田舎を過度に美化するあまり、都市生活を攻撃する論調を見る時があります。田舎生活を悲惨であると蔑む論調と、都市生活は腐敗していると攻撃する論調は同じ穴の狢に思われます。極論は理想主義に育まれ、混乱の中で死を迎えます。人間も社会も不完全であることを認める必要があります。田舎にも都会にもそれぞれ良いところ、悪いところがあります。相互に欠けているものを補い合う関係でありたい、私はそう思っています。今回は、少し抽象的な内容になってしまいました。具体的に都市と田舎は何を補い合うのかについては、『田舎暮らしは悲惨か』というブログに書いています。興味のある方は、そちらをご覧下さいませ。