田舎暮らし in 熊野

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幻想のグローバル主義〜多様性の衰退〜

「これからはグローバル化の時代だ」

「様々な考え方や文化が交流する時代においては、多様性を尊重しなければならない」

もっともな考え方に聞こえます。では、グローバル化と多様性の尊重は、両立可能なのでしょうか。私は不可能だと思います。なぜならば、グローバル化を進めるためには、共通の基盤となる価値観や言語が必要であり、多様性の尊重とは本質的に両立しないと思うからです。現在進んでいるグローバル化は、勢力の強い文化が弱い文化をのみ込むという排除の論理を内包しているように思われます。具体的に勢力の強い文化とは、アメリカ文化です。思想的には自由主義、政治制度は民主主義、経済は市場経済、言語は英語、といったものです。自由主義社会に住む私としては、これらの考え方に同意します。ただ、これらの考え方がいつでも、どこでも通用する普遍的価値だとは思いません。危機的状況においては、ある種の独裁は必要かもしれません。市場経済に任せておけば、格差が広がり、社会が不安定化します。場合によっては人為的な再分配は必要でしょう。英語を理解できない人間が生き難い世の中が良いとも思えません。

 

現在、欧米を中心にグローバル化の危機が起こっていますね。具体的には、トランプ大統領が主導するアメリカ第一主義、イギリス、イタリア、フランス、ハンガリーなどでの自国中心主義の伸長などです。分断を煽るのではなく、グローバル化の危機がなぜ起こっているのかを冷静に考える必要があると思います。

 

フランスの文化人類学者、故クロード・レヴィ=ストロースは、30年以上前に出版された著書『はるかなる視線』の中で、現在のグローバル化の危機を見通していました。レヴィ=ストロースは著書の中で、西洋中心主義を批判し、未開とされている先住民社会等の文化の多様性を守る必要性を説いています。

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本文を引用します。

「他を享受し他に融合し、他と同一化して、同時に異なり続けることはできない。他との完璧なコミュニケーションは、遅かれ早かれ、他者のそして自分の創造の独創性を殺す。創造活動が盛んだった時代は、コミュニケーションが、離れた相手に刺激を与える程度に発達した時代であり、それがあまりにも頻繁で迅速になり、個人にとっても集団にとってもなくてはならない障害が減って、交流が容易になり、相互の多様性を相殺してしまうことがなかった時代である」

異文化交流が容易になり過ぎると、文化の多様性が失われ、創造性が失われると危惧しています。現在のグローバル化の危機を予言していたのですね。

 

では、これからの世界はどうあるべきなのでしょうか。グローバル化をやめて、閉鎖的な社会に暮らせばよいかというとそうではないと思います。要は程度問題です。開き過ぎず、閉じ過ぎずです。レヴィ=ストロースが述べているように、離れた相手に刺激を与える程度の交流が創造性を育むということです。

 

世界におけるグローバル化の危機の問題は、日本国内における都市と田舎の関係にも当てはまると思います。勢力のある都市文化が、勢力の弱い田舎をのみ込むと、日本全体での多様性が失われることになります。現在の地方創生の議論において、地方の衰退は不可避であり、地方の拠点都市に人口を集約しようという話があります。この考え方は、都市が田舎をのみ込む話であり、多様性を破壊することにつながると危惧しています。現在は過疎地となっている場所でも、その地には歴史的に培ってきた文化があります。亡びゆく文化を出来るだけ守り、日本全体での文化の多様性を保ってゆきたい、私はそう思います。