田舎暮らし in 熊野

田舎暮らしの日常、旅行、グルメ、読書について書いています。

岡本太郎の愛した「何もないこと」

芸術は爆発だ!」 

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岡本太郎というとこの言葉を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。変わったおじさんのような印象でしょうか。岡本太郎は、大阪万博太陽の塔を作った芸術家です。超一流の芸術家であるだけではなく、数々の著作も残した文筆家であり思想家です。私は思想家としての岡本太郎に大変魅かれます。メッセージと文体に力と身体性がみなぎっています。自らの頭で考え、行動しながら思想を紡いできたからだと思います。なんと、ピアノ、スキーの腕前もプロ級だったようで、まさに全体性を体現して生きた人でした。かつて職業を聞かれた太郎はこう答えたそうです。

「職業は人間だ」

 

岡本太郎は日本の辺境に魅せられていました。洗練された都会文明ではなく、忘れ去られた辺境の地に生命の根源的な力を嗅ぎ取っていたようです。東北、熊野、沖縄などを旅し、著作を残しています。その中で沖縄を旅して書いた『沖縄文化論ー忘れられた日本』を紹介します。

 

太郎は沖縄久高島の神の降りると言われている聖地、御嶽を訪れ、驚嘆しました。何に驚嘆したのか。「何もない」ことにです。社殿もない、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした空き地でした。太郎はその時の感動をこう述べています。

「なんにもないということ、それが逆に厳粛な実体となって私をうちつづけるのだ。ここでもまた私は、なんにもないということに圧倒される。それは、静かで、幅のふとい歓喜であった」

なんにもない場所で人間と自然、神が直接交歓する、そこに太郎は生命の根源を見たのではないでしょうか。物質や形式主義に囚われて、生命の本質を見失っている現代人に対する警鐘のようにも思えます。太郎は沖縄の路傍に歴史的に重要な彫刻品が打ち捨てられているのを発見し、持ち帰るべきかどうか逡巡した末に持ち帰らないことにしました。こう述べています。

「どんなに惹かれるものでも、自分のものにしたとたんに、それ自体の新鮮な魅力を失う。一度だけ、本当にぶつかればいいのだ。自分で持ってたってしかたない。このまま埋もれるならば、埋もれさすべきだ。こんなものが落としてほうり出されている。そういう沖縄に殉じさせるべきだ」

なんとも潔いではないでしょうか。

 

いかがでしたでしょうか。瞬間瞬間を全体性を持って生きた岡本太郎の愛した「何もないことの眩暈」何もないことは、実は生命の根源に近づくきっかけでもあります。田舎の持つ本質的な可能性は、ここにあるのではないかと思いました。