田舎暮らし in 熊野

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平家物語と熊野 〜海の彼方を夢みて〜

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」

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日本古典文学史上に残る一大叙事詩平家物語の冒頭です。学校で習ってご存知の方も多いかと思います。実は平家物語と熊野は関係が深いのです。平家物語は熊野信仰が最も盛んであった中世に描かれたということもあり、物語の中に熊野が数多く登場します。例えば、平清盛が海路にて熊野参詣に向かう時の出来事を描いた『鱸』などです。今回は、平家物語の一章『卒塔婆流』を取り上げ、物語を通して、熊野信仰の鍵となる常世信仰を読み解きます。常世信仰とは海の彼方にある理想郷を信じる信仰です。

 

卒塔婆流』は平清盛に謀反を企てた罪で絶海の孤島に流された平康頼が、遠い島から熊野権現に帰郷を祈る話です。康頼は千本の卒塔婆(お墓の横に立っている木の板)に望郷の思いを歌った和歌二首を書きました。そして、一本でも都に伝わり、帰郷が叶うようにと祈って海に流しました。そのうちの一本が厳島神社に流れ着きました。この歌は後白河法皇平清盛にも知られることになり、哀れを感じた清盛によって帰郷が許されることになりました。

 

康頼にとっての故郷は、ある種の常世だったのではないでしょうか。もちろん、故郷は実在するものであり、この世ではない理想郷としての常世とは正確に言うと異なります。ただ、絶海の孤島に流された康頼にとっての故郷は海の彼方の理想郷に思えたのではないでしょうか。康頼は熊野権現に帰郷を祈り、故郷という常世を夢みることで二重の意味において、熊野と繋がっていたのではないか。

 

翻って現代、現代人が康頼の感じていたであろうような切実な望郷の念を抱くことはもはやないのではないでしょうか。移動の自由があり、交通手段、通信手段も発達し、故郷は近くなりました。祈りにも似た、故郷を想う切実な気持ちを現代人が喪ってしまったとしたら、少し哀しい気もします。詩人の室生犀星はこう言いました。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そしてかなしくうたふもの」

現代人は本質的な意味で、故郷喪失者なのかもしれません。便利さ、自由を得ることと引き換えに、何かを強く想う気持ちを喪ってしまっているのかもしれません。

 

いかがでしたでしょうか。平家物語の一章『卒塔婆流』に海の彼方を夢みる常世信仰の一つの形を読みました。翻って現代、物理的、心理的に故郷との距離が近くなった現代人は、いにしえの人々が遠い故郷を夢みたような故郷に対する強い想いを喪ってしまったのではないか、という話でした。今は命がけで旅をする不安もないですし、連絡もすぐ取れます。便利な世の中に感謝します。と同時に遠くにある何かを切実に想う感性も忘れずにいたいなと、ふと思いました。