田舎暮らし in 熊野

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AIに負けない「人間力」とは? 

AIに負けない「人間力」、それは問いを立てる能力だと思われます。問題意識を持つこと、問題設定能力、常識を疑う能力、もしくは好奇心と言い換えてもいいでしょう。

 

答えが決まっている事柄に関しては、計算機のような機械が答えてくれます。例えば1+2=3であったり、フランス革命は1789年に起こったといったような類いの話です。明確な答えがないような事柄に関しては、AIが膨大なデータを分析して推論というかたちでの答えを出してくれます。株価の動向であったり、内定辞退率、融資返済率などです。推論とは、確定はできないが、経験則からおそらくこうなるであろうという予測をする能力です。ヒューリスティックなどとも呼ばれています。計算機であれAIであれ、質問をすれば何らかの答えは大体返ってきますが、質問そのものを創り出すことはできないでしょう。問いを立てる能力は、やはり人間にしかないと思われます。

 

ITやAI関連の論評を行なっているアメリカの著述家、ケヴィン・ケリーの著書『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』の文章を引用します。

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「社会は厳格な階層構造から分散化した流動性へと向かっている。それは名詞から動詞に、手に触れられるプロダクトから触れられない〈なっていく〉ものになっていく。固定されたメディアからぐちゃぐちゃにリミックスされたメディアになっていく。保存から流れに変わる。価値を生み出す原動力は、「答えの確かさ」から「質問の不確かさ」へと移行している」(服部桂訳)

 

著書は質問力の有無が人間とマシンを隔てると述べています。人間には質問力があるが、マシン(AIを含む)にはないと。厳密に言うと、良い質問をする能力は人間にしかないと述べています。では良い質問とは何でしょうか。いくつかの条件を上げていますが、まとめると、既成概念に挑み、思考の新しい領域を切り開くものだと述べています。常識を疑う能力とも言えるでしょう。常識が必ず正しいとは限らないですよね。ある時代や状況においては正しいことであったとしても、状況の変化によって最適解は変わってきます。

 

私が従事している漁業を例にとって考えてみます。江戸時代にはマグロの大トロは不人気で廃棄されていました。現在では最高級食材の一つです。食の嗜好の変化や流通の進化が背景にあるのでしょう。現在、未利用魚と呼ばれている魚があります。ほとんど流通せずに廃棄されている魚たちです。売れないということは、美味しくない魚だというある種の常識が消費者や水産関係者の間ですら、出回っています。私は様々な未利用魚を試しに食べてみました。実はかなり美味しい魚が沢山あります。例えば、カゴカマスです。消費者が目にする機会は、ほとんど皆無と言って間違いないでしょう。下記が写真です。宣伝や販売等を工夫したら、十分売れる魚になると思われます。常識を疑うことで、新たな道が拓ける可能性があるという一例です。

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日常生活においても様々な常識がありますよね。周りがこう言っているから、今までこのようにやってきたから、「普通」だから、などなどの理由で現状維持に傾きがちです。変化が激しく、流動性を増していくこれからの時代には常識を疑い、新たな領域を切り拓く能力が必要とされてくるだろうと思います。

 

誤解のないように述べておきますと、常識イコール間違えているという意味ではありません。ある考え方が長期間に渡って持続してきたということは、何らかの意味があるとも十分に考えられます。何でもかんでも変えればいいとは思いません。一度、常識を疑ってみて、必要だと思えば残せばいいですし、もはや必要ないと考えるのであれば、変えればいいと思います。

 

いかがでしたでしょうか。変化の激しいこれからの時代において、AIに負けない「人間力」を身につける必要があるのではないかという話でした。AIに負けない「人間力」とは、問題を立てる能力、好奇心、常識を疑う能力ではないでしょうか。私自身を含めて人間は保守的な生き物ですので、現状維持に傾きがちですが、これからの時代には、常識を疑って、新しい領域を切り拓く能力が必要とされてくるだろうと思います。