田舎暮らし in 熊野

田舎暮らしの日常、旅行、グルメ、読書について書いています。

真のエリートとは? 〜オルテガの『大衆の反逆』を読んで〜

「人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である」(神吉敬三訳)

f:id:kumanonchu:20200411111924j:image

スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガゼットの著書『大衆の反逆』の中の文章です。この本は1930年に刊行された、大衆社会批判の論評です。個人的には最も影響を受けた本の一つです。

 

オルテガは大衆が社会的権力を握った、大衆社会を批判し、真のエリートが社会を主導するべきだと述べています。オルテガは社会階級としてエリート層、大衆層を分けているわけではありません。現在、エリートと聞いてイメージするのは、社会的地位の高い人間や高収入、高学歴の人間などでしょう。オルテガはそうではなく、精神のあり方によってエリートと大衆を峻別しています。真のエリートとは「自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々」であると。

 

オルテガはなぜ大衆社会を批判したのでしょうか。偉大な人物や過去に対する尊敬の念を持たず、現状に満足し、義務ではなく権利ばかりを主張する大衆は、社会全体に生の減退をもたらすからだと述べています。ローマ帝国の衰退も大衆社会の台頭に原因があると。

 

この本は100年以上前に書かれた本ですが、今日的意義も持っていると思います。現在でも大衆社会は続いています。義務ではなく権利ばかりを主張する大衆、利益誘導にいそしむ政治家、財界人、狭い範囲のことしか知らず、それに満足している専門家等々、これらの人々はすべてオルテガの述べた意味での「大衆」と呼ぶことができるのではないでしょうか。自己の欲望の拡張しか考えない人々。

 

自らに多くを求め、積極的に困難や義務を引き受け、自らを超えるなにものかのために奉仕する、そんな真のエリートが今、必要とされていると思います。願わくは自分自身がそうなりたいと思います。まだまだそのような境地には達していませんが。現状に満足していないか、自己満足に陥っていないか、絶えず自戒して、真のエリートを目指していきたいものです。