田舎暮らし in 熊野

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亡びゆく言語と、多様性の危機

世界には現在、約7000もの言語が存在していると言われています。その中で、3500もの言語が今、消えていこうとしています。

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言語学者のK.デイビィッド・ハリソン著『亡びゆく言語を話す最後の人々』を紹介します。言語と文化の関係、亡びゆく言語の実態、なぜ亡びゆく言語を救わなければいけないのか、救うための具体的な方策等が書かれています。私は6年ほど前に本書を読みました。それ以来、言語に対する考え方が大きく変わりました。私自身は、情報、知識の大半を文字から入手しているつもりでいました。文字を持っている言語は無文字言語より高尚であるとも思っていました。しかし、人類の知は、今も昔も圧倒的に口承によって伝わってきたものであることを学びました。言語は単なる記号ではなく、現実の状況の中に埋め込まれていることも学びました。

 

世界の言語の大半は、文字を持っていません。人類が文字を持ってから、まだ6000年程しか経っていません。つまり、現在の人間の知っていることの大部分は、口承によって語り継がれてきました。言葉(ここでいう言葉は話し言葉)が亡ぶということは、人間の文化の多様性が失われることに他なりませんね。本文を引用します。

 

「知の大半が表に出ず、「体系化されない」状態で、文書に記されることもないまま、人々の心のなかに存在しているということである。この膨大な知の集成は、私たちが科学的な(あるいは文字化された)知識として捉えがちなものをはるかに凌駕する」

「現在の膨大な道具と技術によって、かつて私たちの記憶が行なっていた仕事は外注に出された。記憶の補助具に囲まれた私たちは、一種の人工時脳のごとくにそれを頼って安楽な生活を享受している。そのせいで、必要は情報はなんでも本かデータベースにあるはずだという幻想にとらわれてしまった」

 

耳の痛くなる指摘です。人間の知の大部分は、口承によって伝わってきたことを忘れて、文字に頼って記憶をなくす方向に進んでいる現代社会に対する警鐘に思えます。言葉とは本来、状況の中にしか存在しないのでしょう。状況とは、風景であり、具体的な生活といったものです。現実性、身体性ともいえます。情報化社会で生きている我々は、莫大な情報(主に文字情報)に触れる機会があり、最先端の世界に生きていると思いがちです。しかし、その内実は現実感を失った空虚な記号の集積でしかないのかもしれません。

 

確かに文字は便利です。文字の発明によって、人類は情報や知識の伝達を劇的に向上させました。ただ、人類の知は圧倒的に口承を通して行われてきたこと、口承の中に言葉の現実感が存することも忘れずにいたいものです。世界の半数近い言語が亡ぶということは、世界の半数の文化が滅ぶことと同義であり、なんとか阻止したいです。世界の亡びゆく言語を救うことが、大それた望みであるのなら、少なくとも日本語の方言は守っていきたい。私はそう思います。