田舎暮らし in 熊野

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政治はなぜ衰退するのか?〜フランシス・フクヤマの『政治の衰退』を読んで〜

民主主義は最終的に共産主義に勝利し、世界は自由な民主主義社会に収斂していく。

アメリカの政治思想家、フランシス・フクヤマは、ベルリンの壁崩壊の数ヶ月前に『歴史の終わり?』という論文でこのように述べました。この予想はある意味で当たりましたが、ある意味では外れました。冷戦の終結共産主義ソ連の崩壊によって民主主義陣営の勝利が明らかになりました。それによって、共産主義陣営の影響力は大幅に衰えました。その意味では、フクヤマの予想は当たりました。ただ、その後の中国の台頭などによって、世界が単線的に民主主義に収斂してゆくという予想は外れました。私は大学生の時に『歴史の終わり?』を読みましたが、国際政治を単純化しているように感じ、納得できませんでした。諸文明間の衝突を予想した、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』の方が説得力があると思いました。そんなわけでフクヤマの著作をそれ以来、読んでいませんでした。今回、フクヤマの最新刊『政治の衰退』を読んだところ、意外にバランスが取れており、良著だと思いましたので紹介します。

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著者は本書で政治が適切に機能するための3つの要素と政治が衰退する原因について述べています。順に説明します。

 

①政治が適切に機能するための3つの要素

国家、法の支配、政府の説明責任の3つです。国家とは基本的な公的サービスをしっかりと提供できる組織を指します。具体的には社会保障、交通インフラ、基礎教育、国防、治安などを担う、役人組織です。法の支配とは権力の有無に関わらず、万人が共通の法に従わなければいけないということです。政府の説明責任とは民主主義のことです。選挙で有権者によって選ばれた政治家は、国民に対する説明責任があります。著者は政治が適切に機能するためには、この3つの要素間のバランスが重要だと述べています。国家が突出して強く、政府の説明責任が非常に弱い、現代中国のような国は、経済成長が鈍った時に国民の政府に対する不満が噴き出す可能性が高く、適切な政治を実現しているとは言えないと。逆に国家が弱く、政府の説明責任が強い、ウクライナのような国も上手くいっていないと。ウクライナは民主主義の国ですが、国家が弱いため、内乱、外国勢力の干渉を防ぐことができずにウクライナ危機に陥りました。

 

②政治が衰退する原因

直接的には前述した、政治が適切に機能するための3つの要素間のバランスが崩れると政治は衰退すると述べています。政治が衰退する根本原因は、目的よりも手続きを重視することにあると述べています。法の支配と政府の説明責任を例にあげます。法の目的は社会正義のルールを明文化し、公平に執行することですね。実際には、膨大な手続きを理解できるのは、司法関係者などの一部の人間だけであり、結局のところ、儲けているのは彼らであり、社会正義が犠牲になっていると著者は述べています。政府の説明責任の目的は、公益を守ることですね。そのために民主的な手続きに則った選挙があります。ただ、手続きに従ったとしても、政治家は利益誘導や憎悪を煽ることで支持者を集めたり、強力な利権団体が政治献金を通して、自らの狭い利権を守るために、公益が犠牲になるという問題が起こり得ます。

 

著者は最も進んだ自由民主主義国家であるアメリカにおいて政治の衰退の問題が先鋭化していると指摘しています。政治が適切に機能するための3要素の中で、国家が弱く、法の支配、説明責任が強過ぎるため、要素間のバランスが崩れていることが問題の原因だと述べています。

 

まずは強過ぎる法の支配について説明します。アメリカでは中絶や同性婚の是非などの国を二分する論点から交通事故などの日常の出来事まで、裁判で白黒をつけようとする傾向が強いです。裁判で決着がついたとしても、敗者は心中では納得ができず、将来に禍根を残すことになりがちです。裁判の手続き自体も複雑であるため、法律の専門家なしでは成り立ちません。結局、儲けているのは彼らであり、社会正義が犠牲になりがちです。

 

次は強過ぎる説明責任についてです。アメリカの政治には歴史的に抑制と均衡(チェック・アンド・バランス)の制度があります。つまりは権力の分散です。大統領、連邦議会、裁判所、州、それぞれが権力を持っています。これらの諸権力は、機能によって分割されているというより、重複していることが多いようです。その結果、大統領の決定に連邦議会が従わない、連邦議会がつくった法律を裁判所が無効化するといった事態が頻発します。拒否権政治に陥り、政治の分極化が強まり、政治が前に進まなくなります。権力の集中を防ぐ、抑制と均衡は理想的な統治制度のように思えますが、必ずしもそうとは言えないのでしょう。今のアメリカの政治状況を見ているとよく分かります。

 

では日本はどうでしょうか。本書では現代日本について詳しくは述べられていませんが、私見では日本においても政治の衰退は始まっていると思います。日本では国家は強い一方、説明責任は弱いように思えます。法の支配については平均レベルだと思います。アメリカの逆ですね。説明責任の不足と言うと政治家を責めているように聞こえるかもしれませんが、どちらかというと国民の側に問題があると思います。政治意識、主権者意識、つまりは政治に主体的に関わっていこうという意識が国民に低いため、説明責任を果たそうという意識が政治家に根付きにくいと思われます。日本人が愚かであると言っているわけではありません。お人好しなのだと思います。国の言うことに従っておけば、うまくいくはずだというようなお上意識です。日本の政治の衰退の原因は、国民の政治不信にある、とよく言われますが、私は逆だと思います。むしろ政治に対する過信にあると。政治に対する信頼それ自体は良いことだと思いますが、度が過ぎると説明責任の低下を招き、政治が衰退に陥る可能性が高いと思います。

 

いかがでしたでしょうか。政治が適切に機能するためには、国家、法の支配、説明責任の3つの要素を均衡させる必要があるという話でした。3つの間のバランスが崩れると政治は衰退に向かうというフランシス・フクヤマの説を紹介しました。政治の衰退の根本原因としては、目的より手続きが優先されることにあるのではないかとの説も述べました。目的とは社会正義や公共善、公益です。手続きとは、膨大な裁判の手続きや、選挙手続きなどです。手続きを守ったとしても、目的が犠牲になっては意味がないということでしょう。