田舎暮らし in 熊野

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モラエスの生涯 〜追憶の中に生きて〜

ヴェンセスラウ・デ・モラエス

明治大正期に来日し、日本で終生を過ごしたポルトガル人外交官、軍人、文人です。神戸のポルトガル領事館の総領事を勤めた後、徳島で隠棲生活を送った人物です。先日、徳島を旅した際に知りました。徳島市内にはモラエスを讃える石碑などのモニュメントが沢山あり、市民に深く愛されているようでした。どのような人物なのか気になり、徳島市立図書館で複数の文献を調べてみたところ、心を打つ物語と出会いました。

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モラエス神戸在住の際に、芸者のヨネと出会い、共に暮しました。二人は結婚はしておらず、愛人関係にありました。つまり、ヨネはモラエスの妾でした。妾ではありましたが、心優しく、細やかなヨネをモラエスは心から愛していたようです。ヨネは38歳の若さで心臓病で亡くなりました。モラエスは職を辞し、ヨネの面影を追って、ヨネの故郷である徳島に移り住みました。徳島ではヨネの姪のコハルと共に質素な暮らしを送っていました。コハルとの間に子供をもうけましたが、幼くして我が子も失いました。そしてコハルも23歳の若さで結核で亡くなってしまったのです。モラエスは亡くなってしまった、愛する者たちとの想い出を抱き続け、追憶の中に余生を送りました。徳島でひっそりと独りで余生を送り、75歳の生涯を終えました。

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モラエスの随想『おヨネとコハル』の中に印象的な場面がありました。病気で衰退しきったコハルは、食欲をほとんどなくしてしまいましたが、ある時、スイカを食べたいとモラエスに言いました。モラエスは必死にスイカを探し求めて、コハルに食べさせてあげました。コハルはおいしいと言い、にっこりと微笑みました。程なくしてコハルは息を引き取ったのです。映画『火垂るの墓』に同じような場面があったことを思い出しました。

 

客観的に見ると、モラエスの生涯は苦難の人生だったでしょう。愛する人々を次々と失い、異国の地で孤独のうちに生涯を終えたのですから。ただ、私は感傷や悲哀を超えて、モラエスの生き方に感銘を受けました。モラエスの生き方、それは優しくて強い生き方だったと思います。亡くなった後も愛する人々のことを忘れず、胸に深く抱き続けたモラエス。心優しい人物だったと思います。モラエスの強さとは何でしょうか。それは決意であり、意志の強さです。亡くなった、愛する人々の想い出の中に生きるというと、一般的には繊細で感傷的な人物のように捉えられることが多いでしょう。必ずしもそうとばかりは言えないと思います。モラエスの著作を読むと、モラエスは強い決意と意志によって、亡くなった、愛する人々との想い出の中に余生を生きたことが分かります。人間は忘れやすい生き物です。モラエスは忘却に抗い、亡くなった後も愛する人々のことを愛し続けました。その意味で強い人間だったと思います。

 

徳島市のシンボル、眉山から徳島の町並みを眺めました。川と海に囲まれた、美しい水の町です。モラエスも同じ風景を見ていたことでしょう。愛する人々との想い出の中に生きたモラエス。100年の時を超えて、徳島市民に愛され続けているモラエス。私の中にも生き続けることでしょう。優しくて強い、モラエスは。

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