『昭和精神史』を読んで
私は昭和58年に生まれ、昭和時代を7年間生きました。私の生きた昭和とは、小さい子供ながらにどこか高揚感に満ちていた時代だったように記憶しています。狂騒的なバブルに突進している時代でした。私が肌感覚として理解しているのは、そのような昭和のみです。
昭和とはどのような時代だったのだろうか、昭和を生きた人々は何を考えていたのだろうか。今回は文芸評論家、桶谷秀昭氏の著書『昭和精神史』を通して、昭和の精神、心の姿について考えてみます。この本では敗戦前の昭和を取り上げていますので、正確には敗戦前の昭和の精神について考えていきます。
この本では昭和を代表する人物を取り上げて、昭和の精神史を様々な角度から語っています。文学者、思想家、軍人、政治家など様々な分野の人物が登場します。具体的には、芥川龍之介、永井荷風、中野重治、小林秀雄、保田與重郎、北一輝、安藤輝三などです。
保田與重郎の言葉が最も印象に残りました。保田與重郎は日本浪漫派の文芸評論家です。保田與重郎は偉大な文芸についてこのように述べています。
「天智天武朝時代のわが大倭宮廷の大詩人たちが、激越の悲歌に、わが神典期の国風の最後を慟哭した事実は驚くべき文藝であつた。さういふ代表詩人が人麿(柿本人麿)として伝へられてゐるのは、周知のことである。何が滅んだかは、果たして何が滅んだか、又何の滅びを慟哭したものか、今は想像の外ないが、少なくとも文藝とは滅ばんとし滅ぶかもしれないとする、いずれかのものの運命を語りつたへ云ひつがうとする心のおもひに発するものである。詩人の天性がさういふ対象を国家や宇宙観の高さに於いて見るとき、無双の偉大さを再現するものである」
この文章は昭和17年に上梓されています。昭和17年は戦中の激動期です。保田與重郎自身、滅びの予感の中に生きていたのだと思われます。私も保田與重郎の文芸観に同意します。日本文学を例にあげると、ヤマトタケルの神話、平家物語、谷崎潤一郎の細雪などがこの系譜につながっていると思います。映画ですと、小津安二郎監督の東京物語、河瀬直美監督の萌の朱雀などです。西洋古典ですと、リア王などのシェイクスピア悲劇もそうですね。これらは滅ばんとし滅ぶかもしれない、なにものかの運命を語り伝えていると思います。
敗戦前の昭和は様々な矛盾、問題を抱えていました。大国として国際舞台に台頭する一方、大恐慌で疲弊する農村、終わりの見えない外国との戦争も抱えていました。そんな中で共産主義者による革命運動や右翼者による決起が起こったのでしょう。理想を掲げて世の中を変えようとした彼らも、現実の前に破れ去ってゆきました。そして日本自体も敗戦によって破局を迎えました。結果論で言えば、彼らは失敗者でしょう。先人の失敗から学ぶことも当然必要です。ただ、それだけで片付けてはいけないと思います。滅びの運命を自覚しつつ、懸命に前に進もうとした彼らの心意気をこそ心に留めておきたい、本書を読んで私はそう思いました。