田舎暮らし in 熊野

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平家の落人伝説はいかにして作られたのか? 〜祖谷の平家落人伝説〜

昨日、平家の落人伝説で有名な徳島県祖谷渓のかずら橋を訪れました。かずら橋は木のつるで出来た橋です。歩道には割と大きな隙間があり、下を流れる激流が見えてスリル満点でした。

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かずら橋のすぐ近くに「琵琶の滝」があります。琵琶の滝の名前の由来が興味深かったので紹介します。滝のすぐ横に立っていた案内板の写真です。

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要約します。源平の戦いに敗れた平家の一門は、安徳天皇を奉じ、この地に潜入し土着化したと伝わっており、その落人たちは、昔日の都の華やかな暮らしをしのびながら、この滝の下で琵琶の音を奏でながら、零落した身上を慰め合ったという伝説が残っているとのことです。

 

なんとも哀しい話ですよね。文学的観点から見ると、この話の魅力は劇的なコントラストにあると思われます。都で栄華を極めた、平家が戦いに敗れ、山深い秘境の地で生き延びたというコントラスト、戦乱をなんとか潜り抜けた武士たちが、琵琶の音を奏でてこの世の哀しみを慰め合ったというコントラスト。平家物語の一章『卒塔婆流し』を思い出しました。『卒塔婆流し』は平清盛打倒を謀った、平康頼らの陰謀が、清盛に察知され、絶海の孤島である鬼界ヶ島に流された時の話です。康頼は帰京を願い、千本の卒塔婆(お墓に立てられている木札)に望郷の想いを綴り、海に流したという話です。

 

琵琶の滝の伝説や卒塔婆流しの話が史実に基づくものなのかどうかは分かりません。私としては史実かどうかよりも、これらの物語を紡ぎ出し、語り継いできた、いにしえの人々の心象風景に興味があります。では具体的にどのような心象風景だったのでしょうか。これらの物語を紡ぎ出し、語り継いできた人々は、栄華を極めた身から零落した、平家の人々に対して心を寄せ、できればどこかで生き延びていて欲しいと願っていたのではないでしょうか。私はそう思います。

 

平家の落人伝説はいかにして作られたのか?栄光の地位から落魄した、平家に対して心を寄せた、いにしえの人々の心象風景が作り上げた物語だと思います。

 

もしかしてですが、祖谷に落ち延びた平家の落人たちは、哀れな余生を送ったわけではないのかもしれません。戦乱や権力争いから離れ、山深い祖谷の地で静かに暮らし、心は穏やかだったのかもしれません。琵琶の音を奏でて零落した身を慰め合ったのではなく、深い山々に抱かれながら、滝の下で琵琶の音を奏でる風流を楽しんでいたのかも。そんな物語も有り得たし、また有り得るのかもしれません。