田舎暮らし in 熊野

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義賊は民衆の英雄か、もしくは単なる犯罪者なのか?

義賊は虐げられた民衆にとっての英雄であると同時に既存の秩序を乱す犯罪者でもあります。

 

義賊とは弱きを助け、強きを挫く盗賊のことを指します。権力者に立ち向かうアウトローみたいなイメージです。貧しい民衆などからは盗まず、時の権力者や富める者から富を奪い、民衆に分配します。よって民衆からは英雄視されることが多いです。  

 

義賊とされている人々をあげてみます。まずは実在した人物から。ロビン・フッド石川五右衛門、ボニーとクライド、プーラン・デヴィーなどです。フィクション上の人物としては、ルパン、ゾロ、漫画「ワンピース」のルフィの一味などです。

 

今回は立教大学教授の竹中千春氏の著書『盗賊のインド史ー帝国・国家・無法者ー』を通して、実在したインドの「盗賊の女王」プーラン・デヴィーの生涯を紹介します。

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プーランは1963年にインド北部の貧しい家庭に生まれました。小さい時から肉体的、精神的暴力にさらされ、わずか11歳で結婚させられます。30代の夫から虐待を受けた末、追放され、実家に戻りました。今度は身内の争いに巻き込まれ、警察に逮捕されてしまいます。警官からも暴力を受けます。プーランはさらなる苦難にさらされます。盗賊団に誘拐され、ここでもまた虐待されます。盗賊団の一員のヴィクラムは、プーランに想いを寄せ、首領を殺害し、2人で逃げ出しました。そして2人でヴィクラム=プーラン盗賊団を結成しました。やがてヴィクラムも部下によって暗殺されました。プーランは別の盗賊団に加わり、ヴィクラム暗殺の報復を行いました。プーランは警察に投降し、裁判を受けることなく11年間を檻の中で過ごしました。1994年に釈放、そして1996年に国会議員に立候補し当選、国会議員になりました。そして2001年に自宅前で暗殺されたのです。

 

なんとも壮絶な生涯ですね。私はこの本を読んで正義とは何かについて考えさせられました。プーランはれっきとした盗賊です。既存の法治国家の論理から考えると、単なる犯罪者、不法者です。その意味では正義の対極にいる人物でしょう。ただ、プーランにとって復讐は正義の鉄槌を下す行為だったのです。公正な法の裁きや国家の保護を受けられなかった自らの過酷な人生、同じような苦難に見舞われている民衆の姿を鑑みて、誰も不正を糾さないのであれば、自ら行動を起こす、ということなのでしょう。本文を引用します。

「プーランは、盗賊の伝統を引き継いで、血なまぐさい襲撃に出かける前には、必ずあらかじめ決めておいた道路脇の聖なる場所を選んで、女神に供え物をし、静かな祈りの儀式を行なってから出発した。プーランにとって復讐とは、神にかわって正義を下すことにほかならなかった。そして、常に死の影に脅かされている無法者にとって、神の加護こそ大切な拠りどころだったのである」

 

正義とは何か。これはとても難しい問いです。人によって、状況によって、正義は一つではなく、複数存在するのでしょう。何が正義かについてなんらかの選択を行わなければならないとしても、自分とは違う考え方をしている人間がいることも受け入れたいです。そして、自分とは異なる考え方を持っている人間は、なぜそのように考えるようになったのか、というところまで想像できる人間でありたいものです。

 

義賊は民衆の英雄であると同時に犯罪者でもある。

この両義性を私は受け入れたいと思います。