田舎暮らし in 熊野

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水俣病闘争とは何だったのか? 〜『苦海浄土』を読んで〜

「海の上はほんによかった。じいちゃんが艫櫓ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで」

(『苦海浄土石牟礼道子著から引用)

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水俣病に苦しみ、命を終えようとしている漁師の嫁御の言葉です。夫と共に海に出ていた頃を懐かしんでいるのでしょう。彼女は夫を残して40代の若さで亡くなりました。

 

苦海浄土』は水俣病に苦しむ方々の苦難を描いたノンフィクション小説です。高度経済成長に突き進んでいた当時の日本社会の暗部を描いた小説でもあります。有名な本なので知ってはいたのですが、なかなか読むことができませんでした。なぜなら、私にとって水俣病は人ごととは思えず、生々しく感じていたからです。私は四日市の出身です。四日市水俣と同じく、公害に苦しんだ歴史があります。教科書にも出てくる、四日市ぜんそくの場所です。私が生まれた時には、基本的には解決していましたが、被害者の方から直接話を聞く機会もあり、痛々しい記憶として心のどこかに沈殿していました。今回、故郷の負の歴史とも向き合うつもりで『苦海浄土』を読みました。

 

水俣病とは水俣市の化学工場が海に流した有機水銀によって引き起こされた公害病です。多くの犠牲者が出ました。犠牲者の多くは、有機水銀に汚染された魚介類を日常的に食べていた漁民です。私は現在、とある漁村に暮らしており、漁民にとっての海の大切さをよく分かります。漁民にとって、海は単なる「職場」ではありません。彼らは海によって生き、海と共に暮らしています。最近流行りの「ワークライフバランス」なるものは漁民には存在しないです。海は仕事の場であると同時に生活の場でもあります。朝起きたら海を眺め、嵐の時は真っ先に船を見に行きます。豊穣をもたらす海に感謝するお祭りを行っています。そんな大切な海が毒物に汚染されてしまい、親しい人々や自らの命までも奪われてしまった水俣周辺の漁民の苦難、悲嘆を想うと心が痛みます。被害が出ていることを知りつつ、毒物を海に流し続けた化学会社、経済成長優先で化学会社に対する監督責任を怠った行政、水俣市民による水俣病患者に対する心ない差別などに怒りを覚えます。

 

これらを超えて、この本を読んで1番心に残ったのは、患者の方々が体現している情念です。本文を引用します。

水俣病闘争を形づくっている情念とは、都市市民社会から取り残された地域共同体の生活者たちの、まだ立ち切れていない最後の情愛のようなものであった。それは日本的血縁のありようの、最後のエゴイズムと呼んでもよかった。親が子に対して抱く情愛、妻が夫に抱く情愛、人が、人に抱く情愛。都市市民社会では、個人の自我を縛るものとして、すでに脱却されつつある地縁血縁によってこの人たちは結ばれてもし、ゆえに近親的な幾筋もの憎悪や打算でも結ばれていた。〈連帯〉や〈解放〉や〈組織〉や、〈自立〉や〈関係性〉などで解こうとすれば白々しくさえなる、一種しぶといしたたかな血縁集団がここにわだかまっている。親を失うこと子を失うこと、兄弟を失うことに対して、これほどまでの愛怨をあらわすことは、地縁のきずななどを、解き放つ方向にのみ向かってきた近代都市生活民であったならば、もしかして希薄であったのではあるまいか。だから、たぶんこの水俣の患者たちの姿は、日本常民がもはや失いかけ、まだ魂の奥深くに残していた、切実で孤独な情念を揺すぶりおこしたのにちがいなかった」

 

水俣病闘争とは、狭義に捉えると被害者とその支援者による、公害を引き起こした化学会社や、監督責任を怠った国や県に対する訴訟、デモなどの闘いを指します。「闘争」やある種の「運動」には、自立した個人の連帯により、社会の不正を糾す、正義を追求する、といったような近代主義的な理念が背景にあるように思えます。ある種の政治性も絡んできます。水俣病闘争においても、市民団体や政治団体などが自らの思惑から患者を支援しました。

 

私は「闘争」や「運動」が必然的にもたざるを得ない、近代主義的な理念や政治性を否定はしません。ただ、水俣病闘争の本質はそこにはないように思えます。では水俣病闘争とは何だったのか。公害によって失われつつある故郷、家族に対する情念から発せられた被害者たちの叫びだったのだと思います。家族を愛し、海と共に生きてきた暮らしが、公害によって失われてしまったことに対する漁民の怒り、悲しみ。返して欲しい、海を、家族を、幸せだった生活を。

 

私は現在、田舎の漁村で漁民と共に暮らしています。情念がまだ色濃く残っている所です。情念の強い社会は良いことばかりではありません。人と人の距離が近いということは、諍いとも隣り合わせです。堅苦しい部分もあります。ただ、忘れずにいたいです。愛憎含めた情念によって、人間はいままで生きてきたことを、そしてこれからも生き続けるであろうことを。