田舎暮らし in 熊野

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日本人の心の原風景 〜漂泊、放浪、流謫〜

漂泊、放浪、流謫と聞いてどのようなイメージを思い浮かべますでしょうか。ある場合には、自由な旅人のような詩情あふれる、ロマンチックなイメージでしょう。あるいは、定住地を持たずに世界を彷徨う、悲惨なイメージかもしれませんし、住所不定の不審者なのかもしれません。 

 

日本人は一般的には農耕民族であり、つまりは定住民だと考えられていますよね。確かにその側面は強いと思いますが、必ずしもそれだけとは限らないでしょう。古事記日本書紀の神話を読むと、漂泊の物語が多く登場します。神話は言うまでもなく、史実を正確に反映しているわけではありません。史実の要素もありますが、多くはフィクションです。フィクションであれば、読む意味はないのでしょうか。私はそうは思いません。神話には古代人の心象風景が描き出されていると思われます。つまりは古代人の考え方や感じ方、世界観、自然観などです。神話が現代にまで残っているということは、古代人の心象風景は深層において現代人にまで受け継がれていると考えられます。であるならば、漂泊、放浪、流謫は、日本人の心の原風景として古代から現代まで生き続けていると考えられるのではないでしょうか。

 

日本文学者の中西進氏は著書『漂泊 古代十一章』の中で、記紀神話を読み解き、日本人の原質として漂泊感があるのではないかと論じています。

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ここでは三つの神話を取り上げます。一つ目はスサノオ、二つ目は神武天皇、三つ目はヤマトタケルの話です。

 

まずはスサノオについての物語です。スサノオは父神のイザナキから海原の支配を命ぜられましたが、亡くなった母の眠る、妣の国、根の堅洲国に行きたいと泣き叫びます。怒ったイザナキはスサノオを追放します。スサノオは姉のアマテラスオオミカミが治める天上世界に行きます。そこでスサノオは乱暴狼藉を働き、また追放されます。その後、スサノオは出雲の国に向かい、出雲一族の祖となります。やがて、当初の希望の通りに根の国に至ったという話です。

 

次は神武天皇の話です。所謂、神武東征です。神武一行は新たな国作りを目指して、日向の高千穂から乾坤一擲の旅に出ます。長く厳しい旅路の末、大和の地にたどり着き、大和王権を打ち立てたという話です。

 

最後はヤマトタケルです。ヤマトタケル景行天皇の王子とされています。勇猛なヤマトタケルを父は恐れ、異族征伐を命じます。事実上の大和追放でした。ヤマトタケルは九州から東国まで戦野を漂泊します。疲れ果てたヤマトタケルは、大和を目前にして現在の三重県亀山市に位置する能褒野で亡くなりました。死後、白鳥となり、天に昇っていったという話です。

 

この三つの話に共通するのは、三者共に漂泊者であったということです。そして、漂泊そのものを目的にしていたのではなく、安住の地、定住の地を求めて彷徨っていたということです。スサノオ神武天皇は安住の地、原郷にたどり着きました。対して、ヤマトタケルは、安住の地である大和に帰ることができずに、望郷の歌を残して、失意の中に亡くなりました。

 

私は小さい時から、漂泊者に心を惹かれてきました。ヤマトタケルの物語は大好きでしたし、日本以外でも幌馬車でヨーロッパを転々とするジプシー(ロマ)や世界中に離散したユダヤ人、ラクダに乗ってアラブの砂漠を行き来するヴェドウィンなどに関心を持ってきました。何故かはよく分からなかったのですが、この本を読んで、腑に落ちた気がします。日本人の心の原風景に、漂泊、放浪、流謫といったものがあるのでしょうね。安住の地、原郷を求めて放浪する、そんな原風景が私の心の中にも脈々と生き続けているのでしょう。