高野山で見つけた「忘れられた」歴史の面影
「歴史は記憶、記録の集積なのか。それとも、忘却の過程なのだろうか」
昨日、和歌山県の高野山を訪れました。高野山は弘法大師が開いた、真言宗の総本山です。日本仏教における一大聖地です。世界遺産にも登録されています。
奥之院には、約2kmに渡って広大な墓地が広がっています。薩摩の島津家や長州の毛利家など名だたる大名家のお墓があります。石田三成や明智光秀のお墓もあります。なんと、企業のお墓もありました。例えば、パナソニック、日産、ヤクルト、アデランスなどです。企業のお墓とは、不吉な感じがしました。企業は一応、永続を目指す組織であり、死んでしまっていいのだろうかと。こういうことでした。企業の亡くなった従業員の慰霊のためのお墓のようです。
名だたる歴史上の人物や大企業のお墓に圧倒されました。ただ、私が一番心を打たれたのは、これらの偉人たちのお墓ではなく、路傍に打ち捨てられていた名もなきお地蔵さんにです。長い時の経過を経て、顔や体の輪郭も無くなりつつあります。
歴史は偉人がつくるものなのか、「名もなき」庶民がつくるものなのか。どちらともと言えるのでしょう。ただ、我々が学ぶ歴史は、圧倒的に偉人がつくった歴史なのではないでしょうか。大化改新を成し遂げた中大兄皇子、中臣鎌足や鎌倉幕府を開いた源頼朝、明治維新を成し遂げた幕末の志士たちなど。もちろん、これらの功績を残した偉人は偉大ですが、偉人の影に隠れて忘れ去られた「名もなき」膨大な庶民がいることも忘れずにいたいです。路傍に打ち捨てられていたお地蔵さんの姿に、忘れ去られた「名もなき」庶民の姿を重ね合わせました。忘却の彼方に消え去りつつあるお地蔵さんが、こう語りかけてくるような気がします。
「私たちのことも忘れずにいてほしい」
今、命を絶えようとしている蛍が発する淡い光のような、切ない「祈り」が聞こえてくるような気がします。
冒頭の問いに戻ります。
「歴史は記憶、記録の集積なのか。それとも、忘却の過程なのだろうか」
歴史は本質的には、忘却の過程だと私は思います。「名もなき」庶民の姿が忘れ去られていくように、偉人たちもいずれ忘れ去られていきます。ただ、忘れ去られつつあるもの、滅びつつあるものの面影をできる限り心にどどめておきたいと思います。
最後にスコット・F・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』のラストの文章を引用します。
「こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく」(野崎孝訳)