田舎暮らし in 熊野

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熊野 異邦人との交流史

熊野というと険しい山々に閉ざされた神秘的な場所というイメージをお持ちの方も多いと思います。それも一面ですが、もう一つ、黒潮の流れる海を通して外の世界と深く繋がってきたという歴史があります。例を上げながら、熊野と異邦人との交流史を思想的背景、現在に与えている影響も交えながら書いてみたいと思います。

 

波田須の徐福上陸伝説

②二木島の神武上陸伝説

③太地のトルコ、エルトゥールル号救助事件

常世信仰にみる異邦に対する憧れ

⑤現代熊野に残る開放性

 

波田須の徐福上陸伝説

波田須には中国の秦から徐福がやって来て、当時の先端技術であった焼き物の技術や農耕技術を伝えたとの伝説が残っています。現在でも徐福は神様として祀られています。徐福が祀られている徐福の宮の周辺で中国秦代の貨幣が発掘されており、太古の昔に中国大陸から渡来してきた人々がいたことは確かと言われています。

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②二木島の神武上陸伝説

二木島には神武天皇が上陸したという伝説が残っています。神武一行が二木島周辺の海で遭難した際に地元住民が救助したとの言い伝えがあります。二木島祭り(現在は人手不足で中止されている)は、この際の神武一行救助の姿を現代に伝えています。

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③太地のトルコ、エルトゥールル号救助事件

和歌山の太地町沖で明治時代にトルコの軍艦、エルトゥールル号が遭難しました。その際に地元住民は献身的な救助活動を行い、現代においての日本とトルコの友好関係の礎になっています。

 

常世信仰にみる異邦に対する憧れ

常世信仰とは、海の彼方に理想郷があり、善きものは海の彼方からやってくるという信仰です。熊野には歴史的に常世信仰が息づいています。何故熊野には常世信仰が息づいているのか。私の推測ですが、波田須の徐福伝説に見られるように、実際に海の彼方から善きものがもたらされたからではないでしょう。このことから常世信仰が形作られ、常世信仰ができたことで更に外の世界に対する憧れができるという循環作用が働いたと思われます。

 

⑤現代熊野に残る開放性

古代史においては歴史の表舞台であった熊野は、今では静かな片田舎です。田舎というと閉鎖的というイメージを持たれる方が多いと思います。しかし、実際に私自身、都会から熊野に移住して思うのは熊野の人々は開放的だということです。「よそもの」である私に対しても優しい言葉をかけて下さったり、出し惜しみせずにいろいろ教えてくれます。異邦人との長い交流史がもたらした開放的な心性が現代の熊野にも息づいているということですね。