田舎暮らし in 熊野

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33年の時を超えて〜熊野市立荒坂中学校生による郷土調査記録〜

平成の世も間もなく終わりを迎えようとしています。昭和の終わりに近い、33年前の昭和61年に発刊された、興味深い熊野の郷土調査記録を三重県立図書館の地域資料コーナーで発見しました。『私たちの郷土』という本です。熊野市の荒坂地区(遊木、二木島、甫母、須野)にある荒坂中学校生による郷土調査記録です。中学生の書いた文章ですので、拙い部分はありますが、内容においては33年の時を超えた現代的意義を含んだものとなっており、大変参考になりました。特に中学生による地域の主要産業である漁業の昔と今、そして未来に関する考察や、地元住民に対するインタビューなどが印象的でした。以下で文章を引用しながら内容を紹介していきます。

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私のふるさと、という一章で、とある遊木町在住の中学生が地元の将来についてこのように書いています。

「現在、僕の町は過疎化が進んでいます。青年の人達の大部分が都市へ行くため、今は老人が多くなっています。父もこの町で生まれ育っています。その時は青年の人はおおぜいいて、人口も1000人位の人がいたということです。これからも過疎化が進み漁業も衰えを見せてくるでしょう。しかし、僕の町の風景、漁港、きれいな海は変わらないと思います。過疎化が進んでもいつまでも変わらないふるさとであってほしいと思っています。」

この文章を読んで切ない気持ちになりました。国破れて山河あり、ということでしょうか。現在の遊木町はこの文章が書かれた33年前に比べても、大きく過疎化が進んでいます。人口は当時の半分以下になっています。33年前に遊木の中学生が地域の衰退を予見しつつも、美しいふるさとの姿を記録に残そうとしている姿に胸を打たれました。

 

他にも漁業の衰退を止めるための提言などがなされています。例えば、捕る漁業から育てる漁業への転換であったり、漁獲だけで終わるのではなく、加工販売も手がける6次産業化の必要性、体験漁業、魚おろし実習を通した食育の必要性などです。当時の中学生は現代でも十分通用する問題意識を持っていたのですね。

 

33年前にこれらの文章を書いた当時の荒坂中学校生は、現在50歳近くなっています。現在、荒坂地区にこの年代の方々は少ないです。おそらく、都市に移って暮らしている方々が多いのでしょう。先に引用した地域の衰退を予見した中学生が残そうとしたもの、ふるさとの景色、漁港、きれいな海は変わらず残っています。この本を通して、ある中学生の郷土愛も33年の時を超えて私に伝わりました。変わりゆくものと変わらないもの。潮騒が今日も遊木の町を包んでいます。

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