田舎暮らし in 熊野

田舎暮らしの日常、旅行、グルメ、読書について書いています。

コロナは世界をどう変えたのか 〜コロナ狂騒曲の終わりに〜

ようやくコロナ狂騒曲が終わろうとしています。

 

WHOは5/5に新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言を解除し、日本でも5/8に5類感染症に移行となりました。コロナが消滅したわけではありませんが、今後は季節性インフルエンザのようなウイルスとして、人類と共存していくことになるのでしょう。

 

長かったです。3年以上経ちました。コロナが始まった時には私は熊野の限界集落に住んでいました。都会に比べるともともと人の出入りが少ない場所ですし、年配の方が多いので、コロナに対する恐怖心は大変なものでした。もちろん田舎だけではなく、都会でも外出の自粛要請や飲食店の時短営業など、非常事態が続きました。

 

多くの死者、コロナ感染者に対する差別、自粛警察、コロナ関係補助金の受給資格をめぐる国民の分断、ワクチン推進派、反ワクチン派の対立、マスク着用をめぐるトラブルなどなど日本社会に様々な禍根を残しました。

 

コロナが一段落した今、コロナは世界をどう変えたのか、もしくは何を変えなかったのかを考えてみます。

 

私はコロナ禍の初期の2020年の3月と4月に当ブログでコロナが世界をどう変えるのか、というテーマで3つの予想をしました。

まずこの検証をしたいと思います。

 

①グローバリズムの衰退とナショナリズムの復活

②超監視社会の到来

③都会から地方への大規模な人口移動は起こらない

 

グローバリズムの衰退とナショナリズムの復活

予想通りになっていると思います。

コロナ禍によって非常事態においてはどの国も自国優先にならざるを得ないということが明らかになりました。各国は輸出を禁止するなどして重要物資の囲い込みを図りました。実際の危機対応をするのもそれぞれの国家であり、国際機関ではありません。重要物資(食料、エネルギー、医療品、半導体など)を他国に頼り過ぎるのは危険だとという認識が世界中に広がっています。日本でも経産省が重要物資の国内生産回帰に補助金をつける形で積極的に支援するようになりました。アメリカでもEV補助金などを通じて自国企業を優遇しています。半導体の囲い込みも各国で進行中です。コロナ禍だけではなく、ロシアのウクライナ侵攻や中国の対外拡張なども関係しているでしょう。

 

②超監視社会の到来

日本においては超監視社会はまだ到来していないと思いますので、予想は外れたかなと思います。ただ、長期的には依然あり得るシナリオです。

感染拡大阻止を名目にして国などが個人の健康情報、生体情報を取得、管理するようになるのではないか、と予想しました。日本でもCOCOAなる新型コロナウイルス接触確認アプリを国が出していましたが、まともに機能したとは思えないですし、普及もしませんでした。中国などではもしかして個人の生体情報なども管理され、超監視社会が到来しているのかもしれませんが、日本では現状ではそこまでの段階には来ていないように思われます。

 

③都会から地方への大規模な人口移動は起こらない。

これは予想通りでした。

コロナ禍の一時期、テレワークの普及などで東京から地方へ人が流れました。短期的に東京は転出超過となりました。東京はずっと転入超過でしたので、マスコミでもセンセーショナルに報道されていました。これから地方移住が進むなどと。でもそうはなりませんでした。最近では東京に人が戻ってきて、また転入超過となっています。関東大震災でも東京大空襲でも、東日本大震災でも長期的に見ると東京への人口集中は止まりませんでした。誤解を恐れずに言えば、コロナ禍くらいで人口の大移動が起こるとは到底思えませんでした。

 

予想の結果検証はこれくらいにして、コロナによって明らかになったことは、日本人の国民性は戦前から全くもって変わっていないということです。

空気による支配、同調圧力

政府は国民に外出禁止令、マスク着用命令、ワクチン接種命令を出したわけではありませんが、おおむね多くの人が政府の要請に自主的に従いました。これはほとんどの場合において、国民一人一人が熟慮して納得の上で従ったのではないと思います。なんとなく周りから浮きたくない、後ろ指を指されたくないから従ったというのが実態だと思われます。この同調圧力は良い方向に作用すれば団結力や協調性となります。東日本大震災の時の日本人の規律の高さは世界中から称賛されました。ただ、悪い方向に作用すると、最悪の結果をもたらします。まず同調圧力や空気の内容自体が誤っていた場合です。先の大戦の時、日本が負けるはずはないと、されていました。この考えに従わない人間は非国民と罵られ、弾圧されました。結果的に日本は壊滅的な敗戦を経験することになりました。歴史を鑑みると、多数派が常に正しいとは言えません。次に無責任体質。空気などという曖昧な雰囲気に支配され、物事がなんとなく進みますと、失敗した場合にだれも責任を取りませんし、そもそも取れません。その結果、失敗の検証もなされず、また同じ失敗を繰り返すことになります。最後に思考力の欠如。自分で何が正しく、何を為すべきかを考えずに、空気に流されていては、思考力は育ちません。

では空気による支配、同調圧力という日本人の国民性はコロナ禍でどのように作用したのでしょうか。プラス面を上げると、非常事態においても大きな社会的混乱が起こらなかったことでしょう。海外では外出禁止令やマスク着用令などに反対する暴動も起こりました。日本では命令ではなく、「要請」であったにも関わらず、大多数の日本人は粛々と従いました。日本人にとって、周りに迷惑をかけてはいけない、和を乱してはいけないという意識はとても強いですね。マイナス面は、見えない圧力で異論を封殺する傾向があることです。名前のある誰かや権力組織が命令したわけではないので、議論することもできません。なんとなくの空気で同調圧力が形成され、異論の存在を許さない社会。不要不急以外の外出を控えなければいけない空気、マスクしないといけない空気、ワクチン打たないといけない空気、人の集まるイベントを開いてはいけない空気などなど。物事には必ず光と影があり、効能に対しては副作用があります。一度空気が形成されてしまうと、こういった冷静な議論がなかなかできないのは、日本社会の大きな問題点だと思います。こういった指摘は、山本七平の『空気の研究』や戸部良一他の『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』などで昔から繰り返してなされてきましたが、結局変わっていないと言わざるをえないでしょう。

日本的な空気の支配を考える時、フランスの哲学者ミシェル•フーコーの『監獄の誕生』を思い出します。この本は権力が歴史的にどのように行使されてきたのかを述べています。中世以前には主に処罰によって権力は行使されてきました。具体的には拷問などです。近代以降は監視によって権力は行使されるようになりました。監視というと、監視カメラ、盗聴、検閲などが思い浮かびますが、フーコーが述べている監視はこれらの物理的な監視とは異なります。監視の内面化です。功利主義者のベンサムは、パノプティコンという監獄施設を構想しました。パノプティコンは、一望監視施設などと訳されています。円形の刑務所で、中心に監視塔が立っており、それを取り囲むように監獄が配置されています。監獄から監視塔の中は見えません。対して監視塔からはすべての監獄が見えるようになっています。ここで重要なポイントは、監視塔の中に実際には誰もいなくても、囚人たちは自分たちが監視されていると思い込み、権力に従うようになるという話です。かつて権力は剥き出しの暴力というかたちで外面化されていました。近代に入り、権力を行使する人間は、支配対象の人間に対して監視されているという思い込みを植え付けることで権力を内面化させたのです。この監視システムは監獄だけではなく、学校、病院、会社などあらゆる現代組織のなかにも見られます。パノプティコンの監視塔に当たるのが、日本におけるある種の空気なのではないでしょうか。実際には中身は空っぽで実態はないにも関わらず、我々は何かに監視されているように思い込み、従っているのかもしれないです。

私は監視塔や空気の存在そのものを批判しているのではありません。空気の存在は日本社会の安定にも寄与してきたと思いますし、監視による社会の規律化も必要でしょう。ただ、絶対視するのは危険だと思います。人間や人間の作り出した社会は必ず間違える可能性があります。こういった可謬性の認識を持って、安易な決めつけをせずに冷静な議論のできる場を残しておくことが本当の意味での社会の安定につながるのではないか、と思いました。

 

冒頭の問いに戻ります。

コロナは世界をどう変えたのか。

グローバリズムの衰退とナショナリズムの復活、テレワークの普及による働き方の変化、ネット通販の普及などは起こりました。ただ、人口の大移動や国民性の変化というような巨大な変化は起こらなかったといえるでしょう。

最強の眼力の鍛え方 

久しぶりにブログを書きます。

熊野を離れ、名古屋でお店を経営することになりましたので、バタバタしていてなかなか書けませんでした。

 

今回は柳宗悦の『民藝四十年』という本を基に眼力の鍛え方について書きます。

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柳宗悦は明治から昭和にかけて民藝運動を主導した人物です。美術評論家宗教哲学者でもありました。民芸という言葉は柳宗悦による造語です。

柳宗悦は見せ物としての美術品ではなく、民衆向けの日用品たる民芸品に美を見出しました。具体的には名もなき衣服、食器、家具などです。今まで芸術品として陽の目を見てこなかった民芸品の芸術的価値を見出し、世の中に広めた柳宗悦、彼こそは最強の眼力を持った人物といえましょう。そんな柳宗悦が眼力の鍛え方について本書で述べておりますので、紹介します。

 

「知ることが直ちに、見ることだと思うのはおかしい。見る前に知を働かすと、見る眼が知に妨げられると気付かないのであろうか。私とてある知識を持っているから、必然的に幾許かの知恵が、潜在的にも働くだろうが、そういう知識の闖入が目立つと、物を見る眼はどうしても濁ってくる。一般の人は知識でもないと、物が正しく見えぬように考えるが、それは反対なのだ。知識で計ると知識で計れる以内のことより見えないものだ。つまり色眼鏡のようなもので、その色以外の色は見届けるすべがない。知識を持つことそれ自体は一向に差し支えないが、それの奴隷になると、物は見えなくなる。見て後に知る習慣をつけるのが肝心で、それが前後すると、美しさは匿されてしまう。物を見るのは無手に限る。心を裸にするとよい。知恵の着物を着たり、七つ道具を持ち出したりする必要はない」

 

先入観を持たずに、無心に対象のあるがままの姿を捉えるということですね。本書では民芸品などの「物」を見る眼を対象にしているかと思いますが、相手が「人」でも同じではないかと個人的に思いました。

 

人を見るときにも様々な知識、先入観、色眼鏡を通してしまっていますよね。出身地、家族構成、学歴、職業、収入、交際関係、周りの評判等々。そうすることで、先入観に囚われて相手の本質を捉え損なってしまう危険性があるのかもしれません。

 

先入観を入れずに、相手のあるがままの姿を透明な眼差しで見つめる。言うは易し行うは難し、ですね。なぜなら、知識や過去の経験を通して相手を見るというのは、ある意味で人間のDNAに刻み込まれた習性だろうから。一瞬の判断の遅れが死に結びつくような過酷な環境下で長く生きてきた人間にとって、知識や過去の経験に頼らざるを得なかったのでしょう。

 

ではどうしたらいいのでしょうか。柳宗悦が述べているように、「見て後に知る習慣をつけるのが肝心」ということかと思います。意識してこの習慣を身につけない限り、色眼鏡を通して「物」や「人」を見ることになってしまう生き物なのでしょうね。人間は。

 

いかがでしたでしょうか。眼力を鍛えるためには、知るより先に見る習慣をつけることが肝心という話でした。先入観に囚われずに、物事の本質を見抜く眼を持った人間になりたいものです。

尼崎事件とは何だったのか?〜支配の戦略と服従の心理〜

「職業は家族解体業」

尼崎事件の主犯、角田美代子は自らのことをこのように述べていたそうです。

 

尼崎事件とは兵庫県尼崎市を中心にして起こった、日本中を震撼させた連続殺人事件です。10年前の事件ですが、あまりに凄惨な事件であり、記憶に残っている方も多いでしょう。個人的には戦後最悪の犯罪事件だと思います。主犯の角田美代子は、2011年に逮捕され、後に留置場で自殺し、事件の真相は闇に葬られてしまいました。

 

あまりに凄惨な事件ですので、詳しくは述べませんが、死者、行方不明者は10人をこえています。角田美代子を中心にしたグループが複数の家族を乗っ取り、金を搾り取り、暴力、虐待を加えて殺害した事件です。この事件の恐ろしく、やるせない点は、角田美代子自身はほとんど手を下さず、乗っ取った家族を洗脳し、家族同士で暴力を振るわせ、殺し合いまでさせていたことです。

 

私は角田美代子にはあまり関心がありません。ここまで暴虐の限りを尽くす人間は、どう考えてもまともな人間ではないです。異常な加虐志向を持つサイコパスだと思われます。私が関心を持つのは、もともとは被害者だった「普通」の人々が角田美代子に洗脳され、加害者に変容してしまった、その心理とそれを可能にした支配の戦略です。

 

私は最近まで1ヶ月半程尼崎に住んでいました。その間に複数の参考文献を読み、事件の現場を歩き、尼崎事件とは何であったのかをいろいろと考えました。その結果、尼崎事件は他人事ではないと思うようになりました。普通の暮らしをしている人々が角田美代子のような極悪人に遭遇する可能性はあまり高くないと思われますが、良からぬ人につけ込まれ、人間関係のトラブルに巻き込まれる可能性は決して低くないと思います。人を支配しようとする人間がどのような戦略を持ち、人心掌握を図ろうとするのか、支配されるに至る人間の心理はどういったものなのかを知ることは、人間社会で生き抜くためには、極めて重要だと思います。

 

尼崎は大阪に隣接する工業都市です。兵庫県ですが、雰囲気は大阪の下町とほとんど同じです。ダウンタウンの浜田さん、松本さんは尼崎出身ですね。一般的には治安の良くない土地として知られています。確かに犯罪率は高いですし、凶悪犯罪も割と多いです。阪神尼崎駅周辺の繁華街は、ガラが悪い感じがしました。警察が揉め事を仲裁してる場面には、何回も出くわしましたし、マナーがあまり良くない場所なのか、道端にゴミが散乱してたりします。ただ、私自身は危険な目に合うことはありませんでした。尼崎の喫茶店のトイレに財布を置き忘れてしまったことがありましたが、親切な方が店員さんに届けてくれて事なきを得ました。下町特有の人情味ある土地でもあり、世間一般で考えられている程危険な場所ではないと思います。

 

尼崎事件は尼崎という土地だからこそ起こった事件なのでしょうか。私はそこまでは思いませんが、ある程度の関連はある気がします。尼崎には土着性とノマド性が併存しているような印象を持ちました。下町的な濃密な人間関係がある一方で、全国有数の工業都市であり、故郷を離れて一時的に尼崎に住み、働いている人も多いです。そういった人々の人間関係は希薄になりがちです。濃密な人間関係と希薄な人間関係という相反するものが揺れ動きながら交錯した時、尼崎事件が起こったのではないか、そんな気がしました。

 

尼崎事件の主な現場になったのは、杭瀬という場所です。尼崎の中心、阪神尼崎から電車で二駅のところです。大阪の下町のような雰囲気です。

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杭瀬の商店街です。角田美代子グループもよく買い物をしていたそうです。

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こちらは五色横丁というスナック街です。こちらも角田美代子グループがよく足を運んでいたそうです。

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角田美代子グループが住んでいたマンションです。ここの最上階の角部屋で数多くの監禁虐待、殺人が行われました。

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現在、空き地となっているこの場所に殺害された三名の遺体が埋められていました。

 

本題に入ります。『尼崎事件 支配・服従の心理分析』村山満明、大倉得史編著 現代人文社を主な参考文献とし、支配の戦略と服従に至る心理について書きます。この事件は非常に入り組んでおり、事件の詳細までは書ききれませんので、要点を述べます。

 

角田美代子が人心掌握術に長けていたことは間違いありません。どのようにして人心掌握術を手に入れたのでしょうか。角田美代子の父は左官業という肉体労働者を手配する仕事を営んでおり、荒くれ者をアメとムチで手懐けるプロだったようです。そんな父から学んだことも多かったことでしょう。『モンスター 尼崎連続殺人事件の真実』一橋文哉著 講談社+α文庫によると、角田美代子は暴力団の大物から洗脳という悪の技法を学んだ可能性が高いとのことです。支配の戦略を四つに要約すると、アメとムチ、分断工作、同調圧力、社会生活の解体です。

 

アメとムチは時に優しくしたり、時に厳しく接することで相手を手懐ける方法です。よくある話ですね。角田美代子は、最初は相手に甘言で近づき、いろいろと相談に乗ったり、お金を貸したりしていました。ある段階で難癖をつけ、恫喝し、暴力を振るい始めます。と思っていたらまた優しくなったりして、相手を徐々に支配していきました。

 

分断工作は支配される側の人間が結束して反抗してこないように、ある者は優遇し、ある者は虐めることで被支配者同士を対立させ、分断する工作です。支配者がよく使う統治方法ですね。江戸幕府が敷いた江戸時代の日本の身分制度もその一例です。大英帝国の植民地運営も同様でした。角田美代子もこの技法を使いました。支配される人間をランク付けし、しかもランクを頻繁に入れ替えることで、絶え間ない緊張関係を作り出しました。いつ自分が暴力のターゲットになるか分からない状況の中で、自分が被害者にならないように、被害者が別の被害者に暴力を振るうというおぞましい事態が繰り返されました。

 

同調圧力は空気の支配とも言えます。角田美代子は実際的には自分の意思を強制しているのですが、重大事を決める際に形式的には、集団意思決定体制を敷いていました。具体的には、家族会議なるものを開かせ、みんなで物事を決めさせていました。もちろんこの集団意思決定体制は見せかけです。参加者は角田美代子の意思を忖度し、実際には角田美代子の意見が通っているわけですが、形式としてはみんなで決めたこととし、誰も反抗できない「空気」を作り出していました。日本人は特にこの手法に弱いと思います。

 

最後に社会生活の解体です。ターゲットとなった人間の社会生活、特に濃密な人間関係を断ち、孤立させ、自らに服従させるという戦略です。角田美代子もこのやり口を使いました。被害者の親族や親しい友人は、当然、被害者を救おうとします。支配者から離れているため、冷静に状況を判断もできます。角田美代子のような支配する側からすると、これらの人々は邪魔になるので、ターゲットの濃密な人間関係を断ち切ろうとします。角田美代子は、実際にそうしました。具体的には、暴力団との関係を匂わせて、ターゲットの親族や親しい友人を脅して介入しないようにさせたり、ターゲット自身を脅して、目の前で親しい人々に電話させ、絶縁させたりしていました。

 

アメとムチ、分断工作、同調圧力、社会生活の解体を経て、被害者は支配者に絶対反抗できないと思い込み、心理的に無力感に囚われ、支配者に絶対服従するロボットのようになってしまいます。この段階で支配が確立します。  

 

尼崎事件とは何であったのか。

角田美代子が支配の戦略という悪の技法を使い、「普通」の人々を服従、無力化させ、多くの家族を解体していった恐るべき事件だと言えるのではないでしょうか。この事件は言うまでもなく、特異な凶悪犯罪事件です。ただ、ここで述べた支配の戦略と服従の心理は、人間が集まってできるあらゆる集団において、多かれ少なかれ現れる問題を、極端な形で示したと考えることもできます。アメとムチや分断工作、同調圧力を使った支配などはよくある話であり、誰にでも起こり得ます。角田美代子は消え去りました。ただ、角田美代子的な人間は我々の身の回りに潜んでいるのかもしれない。暗闇の中で目を光らせて、獲物を狙っているのかもしれない。

ゼロベース思考は可能か?

我々は特定の思考の枠組みや、狭い考え方に囚われてはいないでしょうか。ゼロベース思考とは、思い込みや既成概念を一旦捨てて、ゼロから考えることです。果たしてゼロベース思考は可能なのでしょうか。

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構造主義を代表するフランスの哲学者、ロラン・バルトの著書『エクリチュールの零度』を通して、果たして人間は自由な思考が可能なのかについて考えてみます。この本は私が最も影響を受けた本の一つです。この本を通して、人間は自分の頭で自由に考えているようにみえて、実はほとんど全てにおいてそうではないことに気付かされました。知らない内に特定の思考の枠組みに囚われているのだと。

 

バルトは言語を三つに分類します。一つ目はラング、二つ目はスティル、三つ目はエクリチュールです。ラングとは言語体のことです。日本人にとってのラングは日本語です。日本語を自ら選択して生まれてきた人はいませんね。ラングとは先天的に与えられた言語であり、そこに個人の選択の余地はありません。日本人に生まれたら、否応なく日本語で思考します。スティルとは文体のことです。文体とは言語を使う際の個人の癖のようなものです。谷崎潤一郎のように流麗な文章を書く人もいれば、三島由紀夫のように論理的、構築的な文章を書く人もいます。文体は人それぞれであり、生得的なものです。ここにも選択の余地はありません。そして最後にエクリチュールとはラングとスティルの中間の言語概念です。

 

エクリチュールとはある種の社会的な言語であり、個人の自由で選択が可能であると、バルトは述べています。エクリチュールの例を上げてみると、政治家のエクリチュール、役人のエクリチュール、インテリのエクリチュール、漁師のエクリチュール、女子高生のエクリチュール、医者のエクリチュール、京都人のエクリチュールなどです。それぞれの社会集団の中でのみ完全に通じる言語のようなものでしょう。所謂、永田町用語は政治家のエクリチュールの代表例でしょう。関係者でないと何を言っているのかよく分かりませんよね。

 

エクリチュールは個人の自由で選択可能であるということは、エクリチュールにおいて人間は完全に自由な思考が可能になるのでしょうか。バルトはこう述べています。

エクリチュールとは、まさしく、このような自由と記憶との妥協なのである。それは、選択の所作のなかにおいてしか自由ではなく、その持続のなかにおいてはすでにもはやそうではないところの、このような記憶する自由である。たしかに、私はこんにち、あるなんらかのエクリチュールを自分に選び、その所作のなかにおいて私の自由を確認し、ある新鮮さなりある伝統なりを持つと主張することができる。けれども、徐々に、他人の語、そしてさらには私自身の語の虜囚となることなしに、ある持続のなかでそれを展開することは、もはやすでにできない。(森本和夫、林好雄訳)」

つまり、エクリチュールを選択する一時点において人間は自由であるが、その後はエクリチュールの虜囚になるということですね。医者になるかどうかは、個人の選択の自由だとしても、一度医者になってしまえば、医者のエクリチュールに囚われてしまうということでしょう。確かにその通りだと思います。特定の社会集団の中では通じても、その外に出ると通じない話、よくありますよね。なんで分かってくれないのだと相手を責めても仕方ないのでしょう。自分と相手で使っているエクリチュールが違えば、話が通じない、噛み合わないのは致し方ないと言えます。

 

結論はゼロベース思考や自由な思考は、エクリチュールの選択をする一時点においてのみ可能であるということです。自分では自由に考えているように思っていても、実はほとんどの場合において特定の思考の枠組みに囚われていると考えた方がいいのでしょう。このような認識を持っておけば、自分と意見の異なる人々を徹底的に非難するようなことはなくなると思われます。社会の分断が進んでいる現代社会において、この本を読む意義があると思います。

古代人に学ぶ記憶術の真髄

詰め込み教育は時代遅れ、AIの発展で記憶力はほとんど必要なくなる等々の話をよく聞きますが、本当にそうなのでしょうか。私はそう思いません。何かを記憶するという営みは、想像力を育む源泉になると思います。そして創造力をも。

 

今回は大阪大学准教授の桑木野幸司氏の著書『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』を通して、古代人はどのようにして記憶力を高めていたのか、記憶力と想像力、創造力はどのようにつながっているのかを考えていきます。

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本書はヨーロッパの記憶術の歴史を論じています。ムネモシュネは古代ギリシャ神話に登場する、記憶をつかさどる女神で古代ギリシャ人に崇拝されていたようです。現代のように文字情報があふれている時代ではなく、言葉といえば主に話言葉だった古代ギリシャにおいて、記憶力は非常に重要視されていました。神話や叙事詩なども主に口承でした。古代ローマ時代になると、記憶術の基本が完成しました。古代ローマにおいては雄弁に人々に語りかけ、説得できる能力を持った弁論家が自由人の理想として尊敬を集めていました。優れた弁論を行なうためには、あらゆる知識を身につける必要があり、しかも原稿を棒読みするのではなく、内容をそらんじて即興で語りかける能力も必要でした。そんなわけで古代ローマでは記憶術が発展しました。

 

では古代人の記憶術はどのようなものだったのでしょうか。記憶を入れこむ器としての場所(空間)を心に思い浮かべ、次に暗唱したい言葉を図像に変換して、場所とイメージをつなぎ合わせて覚えていくテクニックでした。例えば、カエサルが暗殺される直前に言ったとされている「ブルータス、お前もか」という言葉を覚えるとします。まず、石造の議場を頭の中に思い浮かべます。次にカエサルが突如何人かに襲われて、驚き、しかも腹心のブルータスがその中にいたことを嘆き、やがて息絶えてゆく場面を想像します。単に字面を復唱して記憶するのではなく、場所とイメージを結びつけることで記憶が強化されるというメカニズムです。この記憶術は現代の医科学的な観点から見ても有効であることが、研究により証明されつつあるそうです。

 

この記憶術の第一のメリットは、もちろん記憶力の強化ですが、それだけではありません。想像力も強化されると思います。何かを覚える際に場所とイメージを頭の中で想像しながら記憶していくからです。古代人の頭の中には無数のイマージュが花咲いていたのでしょう。最後に記憶は、創造力をも養うと思われます。本文を引用します。

「記憶に基づかない創造など、果たしてあり得るだろうか。何かを全くのゼロから生み出すことなど、神ならぬ身の人間にはできはしない。たとえ独立で創作したと思い込んでいても、その作品にはどこかに、過去の傑作や先例についての情報が、かすかに紛れ込んでいるはずなのだ。それが「反発」というかたちであっても。人の成し得るクリエイションとは、膨大な過去の記憶のなかから無数の情報の断片を取り出し、それを新たな枠組みのなかで調和的に配列しなおすことに他ならない。個々の構成要素はたとえ借り物であっても、その配列の妙にこそ、真の創意が宿るものなのだ」

私もそう思います。私たちが物事を考える際には言語を用います。言語そのものも、過去から受け継いだ遺産であり、特定の誰かによる創作物ではないでしょう。過去から受け継いだ言語を下敷きにしつつ、新しい概念なり、表現を付け加えたり、組み替えたりして、創造は成されていくのではないでしょうか。 

 

いかがでしたでしょうか。近頃、世の中では記憶力が軽視される傾向にあると思います。暗記重視、詰め込み教育は、画一的な人材を生み、創造力の減退を招いた、これからはコンピューターやAIが人間の記憶を担ってくれるので、記憶力はほとんど必要なくなるため、創造力を養おう等々の言説が流布しています。私はこれらの主張には反対です。記憶力と創造力は対立概念ではなく、コインの裏表だと考えています。記憶力を高めていけば、想像力や創造力も同時に高まってくると思います。だとすると、記憶力を高めるために、現代人が古代人の記憶術から学ぶことは多いのではないでしょうか。

『昭和精神史』を読んで

私は昭和58年に生まれ、昭和時代を7年間生きました。私の生きた昭和とは、小さい子供ながらにどこか高揚感に満ちていた時代だったように記憶しています。狂騒的なバブルに突進している時代でした。私が肌感覚として理解しているのは、そのような昭和のみです。

 

昭和とはどのような時代だったのだろうか、昭和を生きた人々は何を考えていたのだろうか。今回は文芸評論家、桶谷秀昭氏の著書『昭和精神史』を通して、昭和の精神、心の姿について考えてみます。この本では敗戦前の昭和を取り上げていますので、正確には敗戦前の昭和の精神について考えていきます。

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この本では昭和を代表する人物を取り上げて、昭和の精神史を様々な角度から語っています。文学者、思想家、軍人、政治家など様々な分野の人物が登場します。具体的には、芥川龍之介永井荷風中野重治小林秀雄保田與重郎北一輝、安藤輝三などです。

 

保田與重郎の言葉が最も印象に残りました。保田與重郎は日本浪漫派の文芸評論家です。保田與重郎は偉大な文芸についてこのように述べています。

「天智天武朝時代のわが大倭宮廷の大詩人たちが、激越の悲歌に、わが神典期の国風の最後を慟哭した事実は驚くべき文藝であつた。さういふ代表詩人が人麿(柿本人麿)として伝へられてゐるのは、周知のことである。何が滅んだかは、果たして何が滅んだか、又何の滅びを慟哭したものか、今は想像の外ないが、少なくとも文藝とは滅ばんとし滅ぶかもしれないとする、いずれかのものの運命を語りつたへ云ひつがうとする心のおもひに発するものである。詩人の天性がさういふ対象を国家や宇宙観の高さに於いて見るとき、無双の偉大さを再現するものである」

この文章は昭和17年に上梓されています。昭和17年は戦中の激動期です。保田與重郎自身、滅びの予感の中に生きていたのだと思われます。私も保田與重郎の文芸観に同意します。日本文学を例にあげると、ヤマトタケルの神話、平家物語谷崎潤一郎細雪などがこの系譜につながっていると思います。映画ですと、小津安二郎監督の東京物語河瀬直美監督の萌の朱雀などです。西洋古典ですと、リア王などのシェイクスピア悲劇もそうですね。これらは滅ばんとし滅ぶかもしれない、なにものかの運命を語り伝えていると思います。

 

敗戦前の昭和は様々な矛盾、問題を抱えていました。大国として国際舞台に台頭する一方、大恐慌で疲弊する農村、終わりの見えない外国との戦争も抱えていました。そんな中で共産主義者による革命運動や右翼者による決起が起こったのでしょう。理想を掲げて世の中を変えようとした彼らも、現実の前に破れ去ってゆきました。そして日本自体も敗戦によって破局を迎えました。結果論で言えば、彼らは失敗者でしょう。先人の失敗から学ぶことも当然必要です。ただ、それだけで片付けてはいけないと思います。滅びの運命を自覚しつつ、懸命に前に進もうとした彼らの心意気をこそ心に留めておきたい、本書を読んで私はそう思いました。

神話で読み解く日本的意思決定スタイルの起源

先日、宮崎県の高千穂を訪問しました。高千穂は古事記日本書紀の中で、数々の神話の舞台になった土地です。今回は高千穂が舞台になった神話を通して、日本的意思決定スタイルの起源を探ってみます。

 

日本的意思決定スタイルといえば、集団合議制ですね。強力なリーダーが意思決定し、トップダウンで物事を進めていくのではなく、みんなで意見を出し合い、合意形成をはかりながら物事を進めていくスタイルです。意思決定のスピードが遅い、無責任体質に陥りやすいなどの欠点が多く指摘されていますが、現在でも日本の意思決定の主流は集団合議制ですね。

 

古事記日本書紀の神話の中に集団合議制の起源が描かれています。その神話は天岩戸(あまのいわと)神話です。有名な神話ですのでご存知の方も多いと思いますが、簡単に説明します。高天原(天の上の世界)を治めるアマテラスオオミカミは、乱暴な行いを改めない、弟のスサノオノミコトに対して怒り、天岩戸にこもってしまい、世界は闇に包まれてしまいました。困り果てた、八百万(やおろず)の神々は天安河原(あまのやすかわら)に集まり、対応を協議しました。岩戸の近くで踊り、大騒ぎしてアマテラスオオミカミの気を引くことにしました。気になったアマテラスオオミカミが天岩戸を少し開けたところを、力持ちの神が引きずりだし、世界に光が戻ったという話です。

 

日本的意思決定スタイルの起源は、八百万の神々が天安河原に集まり、アマテラスオオミカミを天岩戸の外に出すための対応を協議したことにあると思われます。

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ここが天安河原です。現在の宮崎県、高千穂にあります。天岩戸神社から歩いて10分くらいのところにあります。川辺の洞窟で神秘的な雰囲気があります。

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周辺には無数の石が積み上げられています。石を積み上げると願いが叶うと信じられているそうです。

 

神話の時代から日本人はみんなで話し合いながら、物事を決めていたのでしょうね。神話というと、虚構であり、大昔の話であって現代人には関係ないと思われがちですが、そうではないと思います。神話的思考は現代人の思考をも規定していると思われます。他のブログでも繰り返し述べましたが、神話をフィクションかノンフィクションかという観点で見てもあまり意味がないと私は考えています。神話が史実かどうかより、古代人が何をどのように考えていたのかを知ることの方が重要だと思います。神話とは古代人の思考の軌跡であり、神話が現代まで残っているということは、現代人にも古代人の思考が受け継がれているのではないでしょうか。日本の意思決定スタイルが神話の時代から現代まで集団合議制であることが、そのことを証明していると思われます。

 

では欧米社会のトップダウン型の意思決定スタイルは、どのような神話的背景を持っているのでしょうか。一神教的世界観があるかと思います。一神教では唯一無二の神が、人間に掟を授け、人間は神と契約を結びます。神と民衆の間に立ち、神の言葉を民に伝えるのは預言者です。預言者は強力なリーダーシップで民を率います。旧約聖書の中に現れる、アブラハムモーセなどです。旧約聖書の『出エジプト記』を読むとよく分かります。モーセがエジプトで虐げられていた、ユダヤ人を率いてエジプトを脱出する話です。欧米社会の強力なリーダーの原型は、預言者にあると思われます。

 

いかがでしたでしょうか。集団合議制という日本的意思決定スタイルの起源は、天岩戸神話の中で語られている、アマテラスオオミカミを天岩戸から出し、世界に光を取り戻すための八百万の神々の合議にあるのではないかとの話でした。この合議の場所とされているのが現在の宮崎県の高千穂にある、天安河原です。神話は単なるフィクション、昔話ではなく、古代人の思考の軌跡であり、現代人にも引き継がれているのではないでしょうか。